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東京地方裁判所 平成4年(特わ)404号・平4年(特わ)1111号 判決

主文

被告人を懲役七年に処する。

未決勾留日数中四五〇日を右刑に算入する。

訴訟費用は、被告人に負担させる。

理由

第一  はじめに

一  被告人の経歴等

被告人は、昭和二七年出生地の新潟県北魚沼郡堀之内町から上京し、高校夜間部に通いながら、日本光学株式会社に勤務した後、昭和三八年三月東京都板橋区下赤塚町に三好運送株式会社を設立してその代表取締役となり、昭和三九年一二月商号をA運輸株式会社と改め、保有トラック数を増やすなどして業績伸長に努めた。その後被告人は、昭和四九年Dが率いる佐川急便グループと業務提携してその系列下に入り、昭和五二年一二月A運輸株式会社の商号を東京佐川急便株式会社(以下「東京佐川急便」という。)と変更して名実ともに佐川急便グループの一員となり、引き続き同社の代表取締役社長としてその経営に当たった。

二  東京佐川急便及び清和商事株式会社の概要

東京佐川急便は、東京都江東区新砂二丁目一番一号に本社を置き、一般貨物運送事業を目的とする会社であるが、佐川急便グループ内の東京ブロックの主管店として関東一帯をほぼ勢力下に置き、東京都のほか、神奈川県、千葉県、埼玉県、山梨県、茨城県、栃木県、群馬県、長野県に子会社や営業所を張り巡らし、業績拡大に努めた。そして、東京佐川急便は、佐川急便グループの中でも際立った業績を上げるようになり、昭和六三年度(毎年一二月三一日が決算日)には約一四〇億円、平成元年度には約一〇二億円、平成二年度には約六一億円の経常利益を計上するとともに、東京ブロックの売上高は、昭和六三年三月時点及び平成元年三月時点において、同グループ全体の売上げの四〇パーセント弱を占めるまでになっていた。

平成元年当時の東京佐川急便の資本金は、一億二九六〇万円でり、発行済株式総数は、二五万九二〇〇株であったが、被告人は、そのうち約三六パーセントに相当する九万三九六〇株を保有し、残り約六四パーセントの一六万五二四〇株は、D及びその支配する会社が保有していた。

清和商事株式会社(以下「清和商事」という。平成二年四月京都佐川急便株式会社と合併して佐川急便株式会社となった。)は、昭和五〇年九月佐川急便グループ傘下各社を統括するために設立された会社であり、Dが代表取締役会長として会社を支配していた(代表取締役社長は、右合併時までDの長男であるE、その後はF)。清和商事は、昭和五七年に基本組織要綱を定め、次いで、昭和五九年ころ佐川急便グループ各社との間で、清和商事が同グループ各社の業務を統轄する旨の業務統轄契約を締結するなどして、それまで事実上行っていた統轄業務について法的整備を行った。

第二  平和堂グループ関係事件

一  被告人とBとの関係、平和堂グループ各社の設立等

Bは、かねて平和堂の名称で宝石の加工販売業などを営んでいたが、昭和六一年秋ころ、知り合いのGから東京佐川急便の代表取締役社長である被告人を紹介され、資金面等で被告人の協力を得たいと考えて、その後頻繁に被告人の下に出入りし、被告人に気に入られるように努めるなどするうち、被告人の取り計らいにより、昭和六二年八月譲渡担保に提供されていた実家の取戻し資金として一億円の貸付けを、昭和六三年一月には株式投資資金として三億円の貸付けをそれぞれ東京佐川急便から受けるまでになった。

Bは、昭和五七年に住友開発株式会社(以下「住友開発」という。)を、昭和六〇年三月に株式会社平和堂(以下「平和堂(上野)」という。)を設立していたが、被告人と知り合って以降、昭和六一年五月に株式会社銀座平和堂(以下「銀座平和堂」という。)を、同年一二月に平和堂不動産株式会社(以下「平和堂不動産」という。)を、平成元年七月に株式会社ギャラリー平和堂(以下「ギャラリー平和堂」という。)を設立してそれらの会社の代表取締役となった。さらに、Bは、平成二年三月ころ、Gが多額の債務を残したまま、後記株式会社乙一の経営を投げ出したので、これを引き継ぎ、同年七月同社の商号を株式会社平和堂(以下「平和堂」という。)と変更してその代表取締役となった(以上の会社を総称して「平和堂グループ」という。)。

二  株式会社乙一設立の経緯

被告人は、昭和六一年ころ、当時東京佐川急便に出入りしていたHからGを紹介され、株購入資金の融資を取り計らうなどしていたが、かねて政治家との付き合い等のため表に出せない金を必要としていたところ、昭和六二年夏ころ、Gから株取引を大きくやりたいので会社を作りたいなどと話があったことから、東京佐川急便から資金を援助して同人に株取引をさせ、その見返りに利益の一部を環流させるなどして自己が自由に使える裏金を作ろうと考え、この話に応じた。一方、Bは、Gからこの話を聞き、自分もこの話に一枚加わって利益を得たいと考え、Gに申し入れてその了承を得た。そこで、Gは、昭和六二年九月、社名に被告人の「一」の字を使った「株式会社乙一」を設立して代表取締役となり、被告人の了解を得てBが専務取締役となり、被告人も取締役となった。

株式会社乙一は、昭和六二年一〇月から昭和六三年三月ころまでの間、東京佐川急便から合計一〇億円の貸付けを受けたり、東京佐川急便の債務保証を得て銀行から合計二二億円の貸付けを受けたりしながら、これらの資金で株取引をした。Gは、いずれも裏金の趣旨で、昭和六三年二月一億円を、さらに、同年三月Bを介して一億円を被告人に届けるなどした。

そうするうち、被告人は、Gとの仲が疎遠になり、他方、Bとの親交が深まってきたことから、Gに代えてBに株取引をさせ、Bに裏金作りをさせようと考え、昭和六三年四月ころ、Bに対し、資金は東京佐川急便が面倒を見るからGの乙一とは別に本格的に株の運用をやらないかと勧めた。一方、Bは、被告人が資金付けの見返りに裏金を期待しているのを察知し、かねてGとは別に、自分が東京佐川急便から資金の援助を受けて株や不動産取引をして利益を上げたいと考えていたところから、本格的に株の取引などの資金援助を受けるようになった。

三  平成元年一一月末までの平和堂グループの経営状況

1  Bは、平成元年一一月末までの間に、平和堂不動産名義で、合計約四五億円の多額の資金を投下して不動産を購入したが、それらのほとんどが短期間の転売によって利益を上げることが困難なものであり、長期にわたって保有せざるを得ない見通しになっていたものが多かった。また、Bは、平成元年九月には、海外案件として、住友開発名義で、サンフランシスコのリゾート開発事業に関して、四二〇〇万ドル(約六一億円)を投資したが、同年一一月末の時点で、開発の見通しは暗く、資金が固定化する見通しになっていたばかりか、むしろ損失が予想されるものであった。

2  Bは、株式投資については、主に証券会社の歩合外務員の情報により株取引を行ったが、思うように利益は上がらなかった。そして、平成元年一一月末の時点では、B及び平和堂グループの保有株の取得価額は、全部で約一五〇億円であったが、その多くがいわゆる仕手株化していて売りに出せば値崩れを起こすおそれがあったので、売却することができず、しかも、買い付けた株式や不動産を担保に差し入れて更に株式買付け資金を調達するという方法が採られていたことなどから、株式投資においても、多額の資金を固定させる結果となっていた。

3  以上の事業等の資金は、そのほとんど全額が東京佐川急便からの借入金、その債務保証による金融機関からの借入金により賄われたものであった。また、それらの資金で購入した不動産及び株式を担保に更に借入れがされ、株式投資等に充てられていた。その結果、平成元年一一月末時点において、B及び平和堂グループ全体の借入金残高は、総額三二七億二二六〇万円に達しており、そのうち、東京佐川急便からの借入分が七億八〇八〇万円、その債務保証による借入分が約一八七億円に上っていた。また、それらの金利負担も大きく、平成元年一一月中に支払うべき金利は、合計二億五八〇〇万円余りに及んでいた。

4  B及び平和堂グループは、右のとおり、平成元年一一月末当時、不動産投資がうまくいかず、転売も困難な状況にあって一〇〇億円以上の資金が固定し、株式投資も、大量に抱えていた前記証券会社外務員の推奨した銘柄の株価が低迷したままでそのほとんどが仕手株化し、売りに出せば株価が急落するという状況にあったため売ることもできず、多額の資金が固定化していた上、多額の借入金を抱えて金利負担に苦しむ状況にあり、他に目ぼしい事業計画等もなく、その経営は破綻に瀕した状態にあった。

そこで、Bは、昭和六三年一〇月ころ旧誠備グループのIと知り合っていたが、右のようなB及び平和堂グループの窮状を打開するには、東京佐川急便から資金援助を受けて、Iが行う仕手戦に乗って株取引を行い、一挙に巨額の利益を上げて挽回を図るしかないと考え、その旨を被告人に提案するなどしていた。

四  犯罪事実

被告人は、Bから、B及び平和堂グループを債務者とする金融機関からの借入れにつき東京佐川急便の債務保証を、あるいは右B等に対する東京佐川急便の貸付けを要請されたのに対し、Bを含む平和堂グループの経営が破綻に瀕した状況にあり、これ以上債務保証や貸付けをしても、早晩その保証債務の履行を求められ、あるいはその確実な回収を期待できない状態にあることを認識しながら、債務保証等を打ち切れば平和堂グループの倒産を招き、これまでの放漫な債務保証や貸付けの実態が明らかになるばかりか、莫大な保証債務を履行せざるを得ない事態に追い込まれ、自己の経営責任を追及されて東京佐川急便の経営権を喪失することになりかねないため、そのような事態を回避し、さらに、これまでどおりBから裏金をもらいたいと考えていたことから、右要請に応じることにした。

被告人は、東京佐川急便の代表取締役として、同社の業務全般を統括していたものであるが、債務保証を行うに当たっては、返済能力が危ぶまれるものの保証は差し控え、あるいは損害の発生や拡大を防止する措置を講じた上でこれを行い、貸付けを行うに当たっても、返済能力が危ぶまれるものの貸付けは差し控え、あるいは十分な担保を徴して貸付金の回収を確保するなど万全の措置を講じた上でこれを行うなどして、東京佐川急便に損害を負わせることにならないように忠実に業務を遂行すべき任務を有していたのに、この任務に背き、Bと共謀の上、被告人及び平和堂グループひいてこれを経営するBの利益を図る目的をもって、

1  別表Ⅰ記載のとおり、平成元年一二月二二日から平成三年二月二八日までの間、前後八回にわたり、東京佐川急便本社において、平和堂グループが多額の債務を抱えて返済能力がなく、金融機関や東京佐川急便に十分な担保も供されていないことから、同グループの債務を保証すれば、早晩その保証債務の履行を求められる状況にあることを認識しながら、ギャラリー平和堂、平和堂不動産、銀座平和堂及び平和堂の四社の株式会社東京銀行ほか六社に対する総額一五一億円及び二四〇〇万ドルの債務について、それぞれ連帯保証し、もって、東京佐川急便に対し同額の損害を与え、

2  別表Ⅱ記載のとおり、平成二年一月二二日から平成三年三月一日までの間、前後五回にわたり、東京佐川急便本社において、ギャラリー平和堂、平和堂不動産及びBに対し、右二社及びBが多額の債務を抱えて返済能力がなく、これらに貸付けをすればその回収が危ぶまれる状態にあることを認識しながら、担保を徴することなく、合計六〇億円を貸し付け、もって、東京佐川急便に対し同額の損害を与えた。

第三  稲川会関係事件

一  被告人とJ、Kとの関係

Kは、組織暴力団稲川会の最高幹部であり、昭和六〇年九月稲川会二代目会長に就任し、平成二年一〇月までその地位にあったものであるが(平成三年九月三日死亡)、昭和五九年一〇月服役を終えて出所した後、不動産や株取引等の経済活動に進出して勢力を拡大することを企て、かねて知り合いのJに協力させることとし、同人に不動産に関する情報収集等の仕事をさせるなどしていた。

Jは、かつて銀座でクラブを経営していたものであるが、東京佐川急便が配送センター用地を探していることを知り、クラブの客であった同社代表取締役社長の被告人と面識があった上、同社が特定の暴力団と結び付いていなかったことなどから、Kの資金調達に利用するのに好都合の会社であるとして接近を図ることとした。そこで、Jは、被告人を訪ねて不動産業の会社を設立するので支援を願いたいなどと告げ、昭和六〇年一月ころ、Kを被告人に引き合わせ、被告人から東京佐川急便の経理担当の常務取締役としてCを紹介されるなどした。以後、Jは、Kの指示を受けて頻繁に東京佐川急便に通い、被告人やCとの密接な関係作りに努めた。

二  北祥産業、北東開発の設立等

1  Kは、昭和六〇年二月、不動産の売買等を目的とする北祥産業株式会社(以下「北祥産業」という。)を設立し、暴力団員でないJをその代表取締役社長に就任させ、その後北祥産業において、東京佐川急便の配送センター用地買収の仲介をするなどしながら、徐々に同社との関係を深めていった。

一方、被告人は、Kに依頼して、被告人の私事に関するいわゆるブラックジャーナルの記事掲載を差し止めてもらったり、知人の息子の暴力団との間のトラブルを解決してもらったりするうち、Kの影響力が大きいことを実感し、必要なときにこれを利用できるようにしたいと強く思うようになり、以後、Kが支配する北祥産業等の関係会社が行う不動産取引やゴルフ場開発等の資金調達について、東京佐川急便が債務保証をするなどして協力することになった。

2  このような状況の下で、Kらは、太平洋クラブ株式会社が開発中の岩間カントリークラブ(茨城県西茨城郡岩間町所在)に買収未了のいわゆる虫食い土地があったことから、昭和六〇年一〇月、北祥産業において、東京佐川急便の債務保証により銀行から資金を借り入れるなどして右土地の取得に乗り出した。

ところが、右の借入れの際、北祥産業がKの支配下にあることが銀行側に分かって借入が円滑にいかなかったため、Kは、昭和六一年二月、将来の資金調達等の便宜を考え、自己の支配下にあることを隠し、東京佐川急便の系列会社のような外観を有する会社として、北東開発株式会社(以下「北東開発」という。)を設立し、Cがその代表取締役に就任した。北東開発の代表者印、銀行取引印は、当初はCが保管したが、間もなくJが引き取り、同年末以降はKがこれらを保管していた。

3  さらに、被告人は、昭和六二年一〇月ころ、Kに依頼して、右翼団体に絡んだ有力政治家に関する問題を解決するのに成功して大いに面目を施すことができたが、その後もKの力を借りて政治家の種々のトラブルを解決するなどした。そして、被告人は、このようなトラブル解決についてのKの尽力に対する見返りとして、また、Kとの関係を維持するため、Kの求めに応じ、北東開発等の借入れに対する債務保証を重ねていくことになった。

三  北祥産業、北東開発の事業と東京佐川急便の資金援助

1  北祥産業は、東京佐川急便の債務保証により資金を借り入れるなどして、昭和六二年ころまで不動産取引を行ったが、北東開発が成立されて同社がKの資金調達の窓口会社となった後は、格別の事業を行うことはなく、Kが北東開発から資金を持ち出すためのいわゆるトンネル会社になった。

2  北東開発は、若干の不動産取引のほか、次のようなゴルフ場開発事業を行った。

昭和六一年五月、東京佐川急便の債務保証により資金を調達して、北祥産業から前記岩間のゴルフ場用地の虫食い土地を買い受け、さらに、同年一二月、太平洋クラブ株式会社から岩間カントリークラブの開発主体である岩間開発株式会社(以下「岩間開発」という。)の全株式等を取得して同ゴルフ場の開発を進めた。その後、昭和六二年一二月、岩間開発は、東京佐川急便の債務保証により借り入れた資金で北東開発に対する債務を返済するとともに、岩間カントリークラブに関する権利等一切を譲り受け、以後北東開発とは一応経理を別にすることになった。なお、昭和六三年七月、Kの関連会社を管理するための会社として、株式会社天祥が設立され、岩間開発の全株式が北東開発から右天祥に譲渡された。

次に、昭和六一年二月ころから、谷田部カントリークラブ(茨城県谷田部町所在)の開発を手掛けたが、岩間カントリークラブの開発に人手を取られたことや地価が高騰したことなどから、谷田部カントリークラブの開発はやがて事実上棚上げの状態となり、主として、北東開発が東京佐川急便の債務保証を得てノンバンク等から融資を受ける際の名目として用いられるに過ぎなくなった。

さらに、昭和六三年一月ころから、他社が開発中のゴールドバレーカントリークラブ(千葉県山武郡大網白里町所在)の開発に乗り出し、東京佐川急便の債務保証により資金を借り入れ、Kが支配する佳仙産業株式会社に株式会社ゴールドバレーカントリークラブ(以下「ゴールドバレー」という。)の株式を取得させるなどし(昭和六三年八月株式会社天祥が右株式全部を譲り受けている。)、その後も東京佐川急便の債務保証を得て資金を借り入れ、開発を進めた。

そのほか、昭和六三年一〇月ころから、岩間開発において、東京佐川急便の債務保証により資金を借り入れて谷和原のゴルフ場(茨城県水海道市所在)の開発にも手を広げた。

3  また、Kは、昭和六〇年九月から一〇月にかけて、東京佐川急便から北祥産業や被告人名義で借入れをし、その資金でかねて親交のあったIの勧める仕手株である太平工業株を購入した。

その後も、Kは、北東開発が東京佐川急便の債務保証により、ノンバンク等からゴルフ場開発資金等として借り入れた資金について、そのかなりの部分を北祥産業の借入金として同社を経由させた上、KやKが支配する多数の関連会社に貸し付けさせるなどして持ち出し、その多くを株取引に注ぎ込んだ。また、Kは、右の資金のほか、岩間開発やゴールドバレーが東京佐川急便の債務保証によりノンバンク等から借り入れた中からも相当の資金を持ち出し、さらに、岩間カントリークラブの会員資格保証金という名目で合計三八四億円を集めたが、そこからも約一七〇億円を持ち出して株式を購入し、購入した株を担保に更に証券金融からも多額の借入れをし、それらの資金で株取引をした。

四  平成二年五月までの北祥産業、北東開発の経営状況

1  以上の経過の下に、平成二年三月末当時の北祥産業と北東開発を合わせた借入金の合計は、約六三一億円であり(二社間の貸借を除く。)、そのうち東京佐川急便の債務保証による分は、約五四〇億円であった。また、右当時の岩間開発とゴールドバレーを合わせた四社の借入金の総額は、約一一三七億円に達し(四社間の貸借を除く。)、そのうち東京佐川急便の債務保証による分は、約一〇〇〇億円に及んでいた。

2  これに対し、北祥産業も北東開発も、昭和六二年まで不動産取引を行ったが、さしたる利益を上げることはなかった。

ゴルフ場開発のうち、岩間カントリークラブは、昭和六三年三月に茨城県知事からゴルフ場開発の許可を受け、平成元年に入ると、ほぼ開発が終わりかけの状態にあったが、Kが平成元年四月から八月までの間に会員資格保証金の名目で合計三八四億円を集め、そのうち約四〇億円は建設会社の工事代金に、九二億五〇〇〇万円は岩間開発のノンバンクに対する借入金返済に充てられたが、約二〇〇億円は東京佐川急便が保証していた債務の返済に充てるはずになっていたのに、Kは、前記のとおり、約一七〇億円を株式買付けに回してしまい、しかも、後記のとおり、Kの株取引が破綻したこともあって右二〇〇億円の回収は困難になっていた。また、ゴールドバレーカントリークラブについては、用地取得が難航して早期の開発が危ぶまれる状態にあり、谷田部カントリークラブについては、同開発名目で多額の資金を借り入れながら、わずかの用地しか取得しておらず、開発許可を得るために必要な用地取得が極めて困難な状態にあり、前記のとおり、北東開発がノンバンク等から融資を受けるための名目的な事業となっており、谷和原のゴルフ場についても、開発は頓挫した状態にあり、結局いずれのゴルフ場についても、その開発による収益で北東開発等の債務を返済することは期待できない状況にあった。

株取引について、Kは、平成元年四月以降、東急電鉄株一本に絞って大量に買い進めた。そして、株価は平成元年一一月中旬に最高値を付けたが、その後大きく値下がりして回復を見込めない状況にあり、しかも、株価が下落したことにより、購入した株式を担保に借入れしていた証券金融から担保の追加(追い証)を求められる事態となるなど、惨憺たる状況にあった。

さらに、他のKの関連会社に回された資金についても、それらの会社が収益を上げるような事業をしていなかったことなどから、その回収は期待できない状態にあった。

3  以上の結果、北祥産業、北東開発は、大幅な債務超過の状態にあり、資金繰りも自転車操業の状態にあって、借入金の返済資金等の調達に追われていたが、平成二年三月二四日には、「暴力団、株で太る」という見出しの下に、北祥産業は暴力団稲川会のK会長が実質的に経営する会社で、「有名運輸会社」の債務保証の下にファイナンス会社から巨額の融資を受けて株取引をしているなどとする新聞記事が掲載されたことから、右会社から貸付金の返済を強硬に求められ、また、他のノンバンク等からも新規貸付けや借換えを断られたりし、いよいよ資金繰りに窮するようになった。

五  犯罪事実

被告人とCは、暴力団稲川会の最高幹部であるKの意を受けたJから、北祥産業、北東開発を債務者とする金融機関からの借入れにつき東京佐川急便の債務保証を、あるいは北祥産業、北東開発に対する東京佐川急便の貸付けを要請されたのに対し、北祥産業及び北東開発の資金繰りが極めて困難な状況にあり、これ以上債務保証や貸付けをしても、早晩その保証債務の履行を求められ、あるいはその確実な回収を期待できない状態にあることを認識しながら、債務保証等を打ち切れば右両社の倒産を招き、これまでの両社等の暴力団関連企業に対する放漫な債務保証や貸付けの実態が明らかになるばかりか、莫大な保証債務を履行せざるを得ない事態に追い込まれ、自己らの経営責任を追及されて東京佐川急便における経営権を喪失する結果となりかねないため、そのような事態を回避するためにも、右要請に応じることとした。

被告人は、東京佐川急便の代表取締役として、同社の業務全般を統括していたものであるが、債務保証を行うに当たっては、返済能力が危ぶまれるものの保証は差し控え、あるいは損害の発生や拡大を防止する措置を講じた上でこれを行い、貸付けを行うに当たっても、返済能力が危ぶまれるものの貸付けは差し控え、あるいは十分な担保を徴して貸付金の回収を確保するなど万全の措置を講じた上でこれを行うなどして、東京佐川急便に損害を負わせることにならないように忠実に業務を遂行すべき任務を負っていたのに、この任務に背き、東京佐川急便の常務取締役として同様の任務を負っていたC、K及びJと共謀の上、被告人、Cの利益及び北祥産業、北東開発ひいて両者を実質的に支配するKの利益を図る目的をもって、

1  別表Ⅲ記載のとおり、平成二年五月二八日から同年一一月一四日までの間、前後七回にわたり、東京佐川急便本社において、北祥産業及び北東開発の両社が多額の債務を抱えて返済能力がなく、金融機関や東京佐川急便に担保も供されていないことから、両社の債務を保証すれば、早晩その保証債務の履行を求められる状況にあることを認識しながら、両社の株式会社富津総合開発ほか三社に対する総額一二二億円の借入れ債務について、それぞれ連帯保証し、もって、東京佐川急便に対し同額の損害を与え、

2  別表Ⅳ記載のとおり、平成二年九月二八日及び同年一〇月二二日の前後二回にわたり、東京佐川急便本社において、北東開発に対し、同社が多額の債務を抱えて返済能力がなく、同社に貸付けをすればその回収が危ぶまれる状態にあることを認識しながら、担保を徴することなく、合計三五億円を貸し付け、もって、東京佐川急便に対し同額の損害を与えた。

(証拠)<省略>

(争点に対する判断)

被告人は、本件特別背任の公訴事実を争い、弁護人も、種々の論拠を上げて被告人は無罪であると主張しているので、本件の主な争点について、当裁判所の判断を示すことにする。

第一  稲川会関係事件

一 北祥産業、北東開発の経営実態等と被告人の認識

1  弁護人は、被告人には北祥産業、北東開発の経営実態やKの事業の進展状況等について認識がなく、本件当時東京佐川急便が右両社に債務保証、貸付けをすれば、東京佐川急便が債務の履行を求められ、貸付金の回収が困難となる状況にあったことについても認識がなかったと主張する。

そこで、以下、北祥産業、北東開発の経営状態をみた上、被告人の認識の点について判断する。

2  本件各証拠によると、本件当時の北祥産業、北東開発の経営状態等について、次のとおり認められる。

すなわち、平成二年三月末の時点で、北祥産業、北東開発両社の借入金総額は、二社間の貸借を除いて、約六三一億円であり、そのうち東京佐川急便の債務保証による分は、約五四〇億円に達していた。

一方、当時の北祥産業、北東開発両社の主な資産は、若干の不動産のほかは、貸付金であった。両社の貸付金総額は、北東開発の北祥産業に対するものを除いて、約二八二億円であり、そのうち約二二七億円がK関連会社(Kが出資し、全株式を保有するなどKが実質的に支配していた株式会社佳仙産業など合計一三社及びその役員(検察官作成の報告書・甲一〇〇号参照)。以下この意味で用いる。)に対する貸付金であった。したがって、仮にK関連会社に対する貸付金を全部回収できたとしても、両社は大幅な債務超過状態にあったが、両社の債務返済の可否は、K関連会社からの貸付金回収の可否に係っていた。

なお、右の時点で、右両社の岩間開発及びゴールドバレーを加えた四社の借入金総額は、四社間の貸借を除いて、約一一三七億円であり、そのうち東京佐川急便の債務保証によるものは、約一〇〇〇億円に及んでいた。これに対し、四社の貸付金等の総額は、約六六五億円であり、そのうちK関連会社に対するものが約六〇八億円であった。

このように、平成二年三月末当時、北祥産業、北東開発のほか、岩間開発、ゴールドバレーから膨大な資金が貸付金としてK関連会社に持ち出されていたところ、その実質的な唯一の返済原資と考えられたのは、Kが行っていた株式投資、とりわけ東急電鉄株の取引であったが、その東急電鉄株が急落して失敗に終わり、しかも、東急電鉄株を含めKの株は証券金融の担保に入って、いわゆる塩漬けの状態にあったので、北祥産業、北東開発への返済の当てはなくなってしまった。また、Kが手掛けていたゴルフ場事業も、全体として収益を上げ得る状態にはなかった。

以上の北祥産業、北東開発の不動産取引等の状況、K関連会社全体の資産状況、Kの各事業の状況等は、おおむね以下のとおりである。

(一) 北祥産業、北東開発は、昭和六一年三月ころから昭和六二年一一月ころまでの間に、東京佐川急便の債務保証を受けてノンバンクから借り入れた資金により、北祥産業において、ア 千代田区平河町の土地建物(セイントビル)、イ 同区麹町の土地、ウ 世田谷区等々力の土地、エ 新宿区西新宿の土地、オ 世田谷区東玉川の土地、カ 目黒区緑が丘の土地、キ 世田谷区弦巻の土地、ク 同区駒沢の土地の合計八つの物件を合計約二二〇億円で取得し、北東開発において、ケ、新宿区歌舞伎町の土地建物、コ 渋谷区鶯谷町の土地建物、サ 世田谷区駒沢の土地(後に北祥産業に売却。クの物件)、シ 品川区上大崎の土地建物の四つの物件を合計約一四五億円で取得した。

しかし、北祥産業が購入した不動産のうち、三つの物件は、K関連会社の事務所用ビル(アの物件)、北祥ビル建設用地(イの物件)及びKの愛人の居住用不動産(ウの物件)として取得されたもので、転売を目的としたものではなかった。また、転売目的で購入して建売住宅を建てたが、結局Jの住居として利用されたもの(オの物件)もあった。

両社は、平成二年三月末までに四つの物件(カ、キ、ク及びサ、ケの各物件)を転売したが、さしたる利益を得るには至らなかった。

平成二年三月末の時点で、北祥産業、北東開発が所有していた不動産は、前記アの土地建物、イの土地建物(北祥ビル)、エの土地、オの土地建物、コの土地建物、シの土地建物であり、それらの不動産は、取得価格で合計約一五三億円であったが、いずれも借入先のノンバンク等のためにほぼ一杯に抵当権が設定されており、処分しても両社の他の債務返済に充てる余力はなかった。

(二) K関連会社の資産状況等については、平成二年三月末の時点で、負債は、合計約一〇六二億円であるのに対し、確実な回収の見込みのない貸付金等を除いた実質資産は、合計約八五二億円であり、そのうち約六二〇億円が東急電鉄株を中心とする保有株の時価評価(うち約四八二億円が東急電鉄株の時価評価)であった。したがって、右の当時のK関連会社の資産状況は、負債が実質資産を二〇〇億円以上も超過する状態にあった。その上、K関連会社の資産は、右のように、株式がその過半を占めており、しかも、資産の中で収益性のあるものは株式だけであったので、その資産状態は保有株の株価に大いに依存していたが、平成二年一月から株価が下落し、同年五月ころ一時期持ち直したが、その後も低落傾向が続いたので、この間の負債の利息の増大も加わり、K関連会社の資産状態は、悪化するばかりであった。

(三) 右のうち、保有株の大半を占める東急電鉄株について、Kは、岩間カントリークラブの会員資格保証金として集めた三八四億円から約一七一億円を持ち出したほか、北祥産業、北東開発が東京佐川急便の債務保証を得てノンバンク等から借り入れた資金、買い付けた株を担保に更に証券金融から借り入れた資金を注ぎ込み、平成元年四月からほぼ東急電鉄株一本に絞って買い進んだ。そして、Kは、平成元年一一月に発行済み株式総数の約三パーセントに当たる三〇〇〇万株以上の株を保有し(取得価格は約五四七億円)、株価も買い始め時の一〇六〇円から同月中旬には最高値の三〇六〇円を付け、同年一二月末にはその時点での保有株の評価益が約二七六億円(他の銘柄の株を含めた保有株全体の評価益は約三一七億円)となり、腹心の大塲俊夫から一部売却による利食いを勧められるなどした。しかし、Kは、更に株価の上昇を見込み、また、祈祷師から一株五〇〇〇円まで上がるとの託宣を受けていたことなどもあり、売却しなかったところ、平成二年一月に入って株式市況が低迷し始めると、東急電鉄株も下落し、同年三月ころには株価が二〇〇〇円を下回るようになり、証券金融からいわゆる追い証の差入れを求められるなどの事態となり、同年四月には約六九億円の評価損を計上するまでになった。

(四) さらに、Kは、以下のとおり、岩間カントリークラブ、ゴールドバレーカントリークラブ、谷田部カントリークラブ等のゴルフ場開発事業を手掛けた。

(1) 岩間カントリークラブは、平成元年五月にクラブハウスの建設工事を発注するなどの段階になり、平成元年四月から八月ころまでの間に、会員資格保証金預り証という会員権まがいのものを発行して合計三八四億円の資金を集め、その一部の約一三三億円は、ノンバンクからの借入金返済や建設会社の工事代金の支払いに充てられたが、残りの二五〇億円余りは、K関連会社に持ち出された(前記のとおり、そのうち約一七一億円が東急電鉄株の買付け資金に充てられた。)ので、右借入金の返済等にもかかわらず、岩間開発には、なお約二一〇億円の債務が残っていた。また、岩間開発が合計六〇億円を借り入れて手掛けた谷和原のゴルフ場については、平成二年二月地元の水海道市に西祥レジャー株式会社名義で事前協議申請を出したが、市が当該区域を教育的レクレーション地域と定めたことなどから受理してもらえず、事業は頓挫した。

(2) ゴールドバレーカントリークラブは、昭和六三年五月、六月ころから、現地事務所を設けて本格的に地上げを開始し、東京佐川急便の債務保証を得てノンバンク等から合計二五〇億円を借り入れたが、このうち合計約五三億円が北東開発、北祥産業、その他K関連会社に持ち出され、その後も返済されなかった。そして、平成二年三月の段階で、予定用地の約九二パーセントの買収を終えたが、残りの用地については、買収に強硬に抵抗する地主などがいて地上げが難航し、早期の開発が危ぶまれる状態であった。

(3) 谷田部カントリークラブは、北東開発が、平成二年五月末までにノンバンク等から同カントリークラブ開発名目で約二七〇億円を借り入れていたが、一二億円程度が用地買収の仲介業者手数料などとして支払われたに過ぎず、その余の資金は、すべて直接又は北祥産業を経由してK関連会社に貸付金、仮払金として流出し、その多くはKの株取引の資金に充てられていた。

谷田部カントリークラブについては、平成二年六月までに、開発許可を受けるのに必要な地権者の六〇パーセントの開発同意を取り付け、県から事前協議通知書の交付を受けたが、これは北東開発が同カントリークラブの開発名目で金融機関から資金を借りるなどの必要から開発の体裁を整えるため、ようやく開発同意を取り付けたものであり、開発の見通しは暗かった。

(4) 他の多くのK関連会社は、どれも収益を上げておらず、これらの会社に回された資金を回収することは困難な状態にあったので、北祥産業、北東開発の債務超過状態が拡大することは必至の状況にあった。

(五) 北祥産業、北東開発は、借入金の元利返済に苦しむようになり、平成二年一月末には、金融機関に対する借入金約五七〇億円の金利だけでも年間四五億円(年利八パーセントとした場合)の支払いが必要であったほか、月々の会社諸経費、借入金の返済等のため、新規の借入れや旧債務の借換えなどを繰り返し、自転車操業の状況にあった。そして、平成二年三月二四日には「暴力団、株で太る」との新聞記事が掲載されたことから、北祥産業、北東開発は、それまで貸付けを受けていた昭和リース等の金融機関から既存の借入金の返済を求められ、更には借換えを含む新規の貸付けを断られるなどしたことから、資金繰りに一層苦しむようになった。また、平成二年四月から土地関連融資についての総量規制が実施され、金融機関からの借入れが一般的に困難となった事情も加わって、北祥産業、北東開発は、いよいよ同年五月の資金繰りのめどが立たなくなり、このままでは倒産を迎えるしかないという事態にまで立ち至った。そのため、北祥産業の常務取締役として経理を担当していたLは、この上はKと親しい間柄にある川崎定徳株式会社の佐藤茂社長を頼って当面の資金手当てをするしか方途はないと考え、その旨をJに訴えるなどしていた。

(六) 北祥産業、北東開発は、平成二年五月以降も、資産状態及び業績ともに好転せず、東京佐川急便の債務保証によりノンバンク等から借入れをし、あるいは東京佐川急便から貸付けを受けることによって、辛うじて倒産を免れる状態にあった。この間のKが行った株式投資、ゴルフ場開発事業の進捗状況等は、おおむね次のとおりである。

(1) 株式投資について、東急電鉄株の株価は、平成二年六月にいったん持ち直したが、結局は安値を続けて回復せず、東急電鉄株の取引は惨憺たる結果に終わった。さらに、Kは、右の損失を挽回するなどとして、平成二年一〇月から平成三年五月ころまでの間に、北東開発が東京佐川急便の債務保証によりノンバンクから借り入れた資金などを投入して、仕手株である本州製紙株を買い進んだが、これも四六億円余りの損失を生じる無残な結果に終わった。

(2) ゴルフ場事業について、岩間カントリークラブは、平成二年一一月二日、パブリックコースとしてオープンしたが、前記のとおり、既に会員資格保証金の名目で三八四億円が集められ、これについては三年後までの金利を含めて返済しなければならなかったことや、岩間開発からK関連会社に持ち出された資金は、平成二年一月末当時でも三六〇億円を超えていたところ、その返済は期待できなかったことなどから、仮に将来正規の会員権を販売して資金を集めるとしても、岩間カントリークラブの開発事業から他に余剰金を回せるまでの見込みはなかった。

ゴールドバレーカントリークラブは、その後も開発が実現しなかったが、前記のとおり、平成二年三月当時でも、合計約二五〇億円の借入金を抱えており、仮にあと三年位で地上げを完了し、会員権を募集して資金を集めることができたとしても、今後の用地買収資金、コース造成費、クラブハウス建設費等に少なくとも約二〇〇億円を必要とすると見込まれるのに対し、会員権の販売価格は、確実なところで四〇〇億円ないし四八〇億円程度しか見込まれない状況にあったので、この間の借入金の金利負担等も考えると、せいぜい収支が合えばよいという程度の見通しであって、それ以上北祥産業、北東開発の債務を返済するまでの余力は見出せない状態にあった。

谷田部カントリークラブは、前記のとおり、平成二年六月に県から事前協議通知書の交付を受けたが、その直後の同月下旬か七月初めころ、Jら同開発事業の関係者、Cが会合し、今後の取り組みを検討した結果、用地買収が困難であれば借地の割合を多くすることなどが話し合われた。しかし、地価高騰のため用地を買収した場合は五〇〇億円から八〇〇億円位の資金が必要と見込まれること、向後三年以内に用地の九〇パーセント以上を確保する必要があったが、この段階で用地はほとんど確保されていなかったことなどから、仮に開発に成功して会員権を販売できたとしても、それによる収入は五〇〇億円程度しか見込めない状況にあったので、谷田部カントリークラブの開発による収益で北祥産業、北東開発の債務返済を期待することはできなかった。

(3) 本件の各債務保証は、貸付けによる合計一五七億円、北祥産業、北東開発の既存の借入金の元利返済、両社の運転資金等のほか、谷田部カントリークラブ関係の支払い、Kのヘリコプター購入代金支払い、Kの本州製紙株の買付け資金その他の支払いに充てられたが、これらの借入れが北祥産業、北東開発の負債全体の軽減につながることはなかった。

そして、本件各借入金は、別表Ⅲの番号4の借入金を除いてその全額が未返済であり、右番号4の借入金も、返済期限を延長の上、平成三年四月三〇日、東京佐川急便がアポロ不動産に対して北東開発の債務を肩代わりし、同年一〇月三〇日これを完済したものであり、結局、本件一五七億円全部が東京佐川急便の実損害となっている。

3  以上の事実を総合すると、北祥産業、北東開発は、平成二年五月当時多額の債務を抱えて当面の資金繰りにも窮していたものであり、一方、資産は、若干の不動産のほかは、K関連会社に対する貸付金がほとんどであり、仮にその全部が回収できたとしても、大幅な債務超過の状態にあったばかりか、両社の貸付先であるK及びその関連会社が行っていた株取引とゴルフ場開発事業も、全体として収益が上がることを期待できる状況になく、それらの会社から資金を回収することは困難な状態にあったと認められる。また、北祥産業、北東開発は、平成二年五月以降も、業績が好転せず、東京佐川急便の資金援助によって辛うじて倒産を免れていたものであり、新たな金融機関からの借入れ、あるいは東京佐川急便の貸付けは、相当部分が既存の債務の返済に充てられたにしても、なおいたずらに北祥産業、北東開発の返済できない債務を増加させる結果となるものであったと認められる。

4 そこで、右のような北祥産業、北東開発の経営状態等に関する被告人の認識についてみると、関係証拠によれば、Jは、かねてKの意を受けて足繁く東京佐川急便に通い、ことに東京佐川急便と関係を生じた当初のころは、ほぼ毎日のように被告人の下に顔を出すなどして、努めて被告人との接触の機会を持っていたこと、また、北祥産業、北東開発が東京佐川急便から貸付け、債務保証を受けるについては、必ずJ本人が東京佐川急便に出向いて被告人に会い、資金を必要とする事情、資金の使途、債務保証の場合には借入先等を説明して援助を依頼していた(Cに対しては、LがJと共に、あるいはLが一人で説明していた)ことが明らかである。

そうすると、被告人においては、Jの言動等から、遅くとも平成二年五月初めころまでには、北祥産業、北東開発が多額の債務を抱えて資金繰りに追われ、K及びその関連会社を含めて債務返済能力がない状態にあること、その後も経営状態等が好転することがなかったこと、したがって、これ以上東京佐川急便が債務保証をして新たに借入れを受けさせ、あるいは東京佐川急便が新たに貸付けをしても、北祥産業、北東開発の当面の倒産を回避できるにとどまり、結局は東京佐川急便が保証債務の履行を求められ、あるいは東京佐川急便の貸付金の回収が困難となる事態となることを認識していたと認められる。

5  これに対し、弁護人は、当時のKのゴルフ場開発事業や東急電鉄株取引の実情は、検察官が主張するようなものではなく、むしろ利益を上げることが期待できるものであり、K側の関係者、特にJは楽観的な認識を有していたから、被告人がJから検察官が主張するような報告を受けることはあり得なかったと主張する。

(一) そこで検討するのに、Kの東急電鉄株取引及びゴルフ場開発事業の状況等は、前記認定のとおりである。若干の補足をすると、次のとおりである。

すなわち、ゴルフ場開発事業のうち、谷田部カントリークラブについては、平成元年夏ころ、北祥産業の企画部から現地調査の結果として、予定地の地価高騰などから採算が取れないなどとして全般的に計画の再検討が必要であるとの報告があり、この報告に基づき、KがJらに開発中止を指示することがあった。しかし、K側としては、北東開発において引き続き金融機関から融資を受ける必要があったので、融資を受ける名目として谷田部カントリークラブの開発を続けている体裁を残していたというのが実情であり、その後も開発自体が危ぶまれる状況が続いたことが明らかである。

平成二年一一月にオープンに至った岩間カントリークラブと開発途中であったゴールドバレーカントリークラブも、既に認定したとおり、それぞれ多額の借入金を抱えており、しかも、K関連会社に持ち出されたものについては、それが返済される見込みはほとんどなかったことなどからすると、仮に正規の会員権を高い価格で販売することができたとしても、せいぜいゴルフ場開発事業の収支が見合うという程度であって、それ以上に北祥産業、北東開発の債務返済に回せるまでの収益を期待できる状況になかったことが明らかである。

右に関連して、所論は、本件各ゴルフ場開発事業について多額の利益を期待できたとして種々収支計算等を主張しているが、CやJを初め、大塲、田邊、松澤勝昭らが、捜査段階で将来の収支等について厳しい見通しを述べているところなどと対比してみると、所論のような収支計算の妥当性、現実性を直ちに肯認し難いし、仮にそのような収益計算が成立するとしても、Jら当時のKの関係者がそのような明確な展望を持って活動していたとは認められない。

(二) Kの東急電鉄株の取引についても、それが惨憺たる結果に終わったことは、既に認定したとおりである。

所論は、Kの意図は市場での売抜けを狙ったものではなく、東急電鉄側に高値で引き取らせることにあったというが、もしそうであったとしても、Kは、平成二年三月ころには東急電鉄株の株価が低落し、証券金融から追い証を求められる事態となる一方、同月末、東急電鉄株一六〇万株を更に買い増した上、東急電鉄側に暗に株式の引取りを求めたが、これも事実上拒否されているのであるから、この点からみても、東急電鉄株の取引は失敗に終わっていることが明らかである。

(三) さらに、所論は、当時Kの周囲には稲川会会長という立場と影響力に期待して、資産を提供してでも同人とのつながりを得ようとする資産家や投資家が集まっていたので、K側の債務の返済可能性について、JらK側の者は安堵しており、危機感はなかったなどという。

しかし、仮に所論がいうような資産家等がいたとしても、既に認定したような本件当時の北祥産業、北東開発等の逼迫した経済的状況の下で、JらK側の者がそのような者の資金援助を受けることによりK側の多額の債務を確実に返済できると認識していたとは到底考えられない。

かえって、次のような事実、つまり、Kが東京佐川急便から北祥産業、北東開発を経由して多額の資金援助を引き出した上、株取引、ことに博打ともいえるようなやり方で東急電鉄株の取引に大量の資金を注ぎ込んだこと、その取引が失敗に終わり、平成二年四月ころJから東京佐川急便関係の債務返済の相談を受けても、「とりあえず二〇〇億円程をノンバンク側に返済し、谷田部を仕上げて残りは棒引きということで東京佐川急便に負担してもらう」などと答え、北祥産業、北東開発で約五四〇億円もあった東京佐川急便の債務保証による借入金の一部しか返済しない気持を洩らしていたこと、北祥産業や北東開発の資金繰りが逼迫している事情を十分知りながら、L、Jがようやく借り入れた資金(別表Ⅲの番号4の借入金)から、ゴルフ場視察のために使用するなどと称して購入したヘリコプターの残代金等八億円の支払いに充てるなどしていること等の事実に徴すると、Kにおいては、北祥産業、北東開発等に債務返済能力がないことを十分承知していたことが明らかであるが、さらに、東京佐川急便の債務保証を受けて借り入れた多額の債務について、これを真摯に返済しようという意思がなかったのではないかと疑われるのである。

6  さらに、弁護人は、Jは被告人に詳しい状況を説明していないばかりか、調子のよいことだけを報告していたから、この点からみても、被告人がJの報告により検察官主張のような認識を持ったことはないと主張する。

(一) しかし、一般に融資を求める者が相手に不安を与えるような悲観的な説明をすることはないとしても、K側としては、東京佐川急便に食い込んで長期間、継続的に資金援助を引き出そうという意図を有していたのであるから、何よりも被告人及びCの信頼を損なわないように心掛けていたものと考えられる。したがって、JもLも、被告人やCに対し、K及びK関連会社の事業経営の状況について、また、具体的な資金援助を依頼する場合には、依頼する額からみても、資金を必要とする事情や資金使途等について、それらを偽ることなく説明していたものと認められる。

この点に関し、Jは、当公判において、被告人らに対する説明の基本的な態度につき、Cにも被告人にも、正直に話をするということが自分の立場だとわきまえていたので、自分が知り得る範囲のことは正直に述べていたとか、資金の使途等につき正直に説明しておかないとKと被告人、KとC、Cと金融機関との間で食い違いが生じるなどして大変な問題になると思っていたとかと供述しているが、この供述は、十分信用できると認められる。

もっとも、JやLの当公判における供述等によると、Jの被告人に対する説明の程度、方法は、Cに対する場合と対比して、概括的、簡略なものであったようであるが、それは、被告人とCとの社内的地位、立場等の違いによるものであって、何らかの不当な意図や計算によるものではないとみられるから、そのために被告人が北祥産業、北東開発の経営等の実態について、正しい認識を持つことができなかったとは考えられない。

(二) しかも、関係証拠によれば、次のとおり認められる。

すなわち、被告人は、Jから紹介されてKと面識を持ち、判示の経緯の下に、北祥産業、北東開発に債務保証等をするようになったものであるところ、前記のとおり、Jが頻繁に被告人の下に出入りし、資金援助の依頼をしていたことなどから、Kが組織暴力団稲川会の最高幹部であって、自己資金も信用もないことはもとより、専ら東京佐川急便の資金力に目を付けて被告人に接近してきたものであること、そして、Kが北祥産業、北東開発を窓口として、東京佐川急便の債務保証、貸付けを受けて資金を調達し、大々的に株取引やゴルフ場開発を行っていたこと、しかし、それらが利益を上げることなく失敗に終わり、北祥産業、北東開発が資金繰りに追われていたことについても認識があったと認められる。

とりわけ、被告人は、当時一か所の開発に二〇〇億円とか三〇〇億円とかの資金を要するとされたゴルフ場の開発事業について、Kが数か所手掛けることを応援すると約束していたのであるから、ゴルフ場の開発事業の関係だけでも、東京佐川急便の債務保証等により数百億円の資金が投入されていることの認識があったと認められる。実際に、被告人は、昭和六三年三月ころK、Jを京都のD会長宅に案内した際、CにK側に対する債務保証の総額を調べさせ、右の時点で約四〇〇億円に上っているとの報告を受けている。他方、被告人は、谷田部カントリークラブ、ゴールドバレーカントリークラブ等の開発事業について、具体的に、それらの用地買収が完了の予定であるとか、行政庁の開発許可が下りる目処が立ったとかの報告は受けていないのであるから、それらの開発が進捗していないこと、したがって、それらの事業に投入した資金が回収できない状況にあることの認識もあったと認められる。

岩間カントリークラブについては、開発が完成に近づいていたが、被告人は、Kが会員資格保証金という名目で三八〇億円以上の資金を集めたこと、初めはその中から約二〇〇億円を東京佐川急便のための債務返済に充てるとの約束であったこと、しかし、その後右の資金から二〇〇億円を持ち出して東急電鉄株の買い付けに充て、東京佐川急便のための債務返済には回らなかったことなどについて、平成元年二月か三月ころ以降、JやC、さらに、Kの側近相島功などから報告を受けて承知していたと認められる。

Kの株取引についても、被告人は、平成二年三月二四日の「暴力団、株で太る」の新聞記事にKが大規模な株取引をしていると報道されていたこと、前記のとおり、Kが岩間カントリークラブで集めた保証金の中から約二〇〇億円を東急電鉄株の買付けに充てたと聞いていたこと、遅くとも平成二年四月ころには、Jから東京佐川急便の債務保証により谷田部カントリークラブ開発名目で膨大な資金を借り入れているが用地買収はほとんどされておらず、Kがその多くの資金を持ち出して株取引に回しているとの報告を受けていること、さらに、右の四月は株価が一般的に急落した時期であった上、東急電鉄株はその前から下落していたこと、他方、Kが株取引で利益を上げたなどの報告はなく、その他K側から債務返済があったなどの報告も受けていないことなどからみて、Kが数百億円の資金を投入して東急電鉄株を買い付けたが、それが成功せず、これによる資金の回収も期待できない状況にあることの認識があったと認められる。

以上のほか、後にみるとおり、本件債務保証、貸付けを含めて北祥産業、北東開発に対する東京佐川急便の資金援助は、東京佐川急便の本来の業務から外れ、主に被告人自身の利益のために行われたものであること、本件の債務保証、貸付けについても、被告人がJからその必要性などを聞いて承諾を与えていることなどを考え合わせると、被告人が北祥産業、北東開発の経営状態、債務返済能力等について認識がなかったとは考え難い。

(三) 被告人は、その検察官調書において、遅くとも平成二年五月ころまでの時点で、Kが北祥産業、北東開発の借入金のかなりの部分をK関連会社に持ち出していること、Kは、右持ち出した資金のかなりの部分、岩間カントリークラブの会員資格保証金として集めた中から持ち出した資金、あるいは買い付けた株を担保に更に証券金融から借りた資金等を注ぎ込み、東急電鉄株を中心に大々的に株取引を行い、株価は一時期最高値を付けたが、その後値を下げて証券金融から追い証を求められるなどの事態となり、株取引は失敗に終わったこと、ゴルフ場開発事業についても、谷田部カントリークラブはその開発名目で多額の資金を受けながら、ほとんど用地を取得しておらず、完成の見通しが立たないこと、ゴールドバレーカントリークラブは残りの用地取得に難航しており、開発に成功しても収支とんとんの状態であること、唯一成功したと言える岩間カントリークラブも、右のとおり、会員資格保証金として集めた資金の相当の部分をKが東急電鉄株に注ぎ込んだ揚げ句、その株取引が失敗に終わったこと、その他「暴力団、株で太る」の新聞記事や総量規制のため北祥産業、北東開発の資金繰りが一層苦しくなっていたこと等について認識していたと述べているが、この供述は、任意性に争いがないところであり、また、これまで検討してきたところに照らし、大筋において十分信用できると認められる。

7  以上のとおりであるから、被告人に北祥産業等の経営実態等につき認識がないとする弁護人の主張は、理由がない。

二 本件債務保証等の決定とK、Jらとの共謀

1  弁護人は、本件債務保証、貸付けは、すべてCが決定したもので、被告人が決定したのではなく、KやJらとの共謀の事実もないと主張する。

2  そこで検討するのに、本件各証拠によると、次のとおり認められる。

(一) 被告人は、東京佐川急便の代表取締役社長として、同社の内部規程(定款二〇条、職制規程五条一項)上、会社を代表し、定款及び取締役会で定められた方針に基づき、また、自ら諸方針を立てて、一切の業務を統括する権限を有するものとされていた。実際にも、被告人は、東京佐川急便の創業者社長として、あるいは株式総数の三分の一以上を有する実力者社長として、会社業務全般について実権を振るい、Cほか会社の役職員を指揮しながら、同社を経営していた。

一方、Cは、東京佐川急便の経理担当の常務取締役として、資金調達、債務保証、貸付けを含む東京佐川急便の経理財務業務全般を担当していた。

(二) 北祥産業、北東開発が東京佐川急便から具体的に資金援助を取り付ける方法は、JとLが東京佐川急便に行き、Jにおいて被告人と会い、借入れの必要性、借入金の使途、債務保証の場合には借入先等の事情を説明して援助を依頼し、その了承を得ると、JがLと二人であるいはJの指示でLがCに会い、被告人の了承が得られたことを伝えるとともに、借入れの必要性等を説明して了承を求め、所定の貸出、保証等の事務手続を依頼するというものであった。

(三) 本件各債務保証、貸付けは、次のように行われた。

(1) 株式会社富津総合開発からの合計五〇億円の借入れに対する債務保証(別表Ⅲの番号1、2、5、6)

Jは、平成二年五月初めころ、いよいよ北祥産業、北東開発が金融機関から借入れすることが困難となったことから、資金繰りに窮し、Kの了解の下に、Kと親しい川崎定徳株式会社代表取締役社長佐藤茂に融資を依頼し、その意を受けた株式会社住宅信販代表取締役社長桑原芳樹と協議し、同人が経営する富津総合開発から谷田部カントリークラブ開発資金名目で五〇億円の枠で融資する旨の内諾を得た。そこで、Jは、被告人とCにそれぞれ右の事情を説明して債務保証を依頼し、同人らの承諾を得た。その結果、同月二八日から同年一〇月二日までの間、北祥産業が借主になって二回、北東開発が借主になって二回の計四回にわたり合計五〇億円の借入れをし、これらに東京佐川急便が債務保証した。

(2) 芙蓉総合リース株式会社からの二二億円の借入れに対する債務保証(別表Ⅲの番号3)及び東京佐川急便の合計三五億円の貸付け(別表Ⅳの番号1、2)

Jは、平成二年七月ころ、借入金の返済、北祥産業、北東開発の運転資金等を得るため、芙蓉総合リース銀座支店長から東京佐川急便と間組の債務保証を条件に谷田部カントリークラブ開発名目による二〇〇億円の融資枠の内諾を得た。そこで、Jは、被告人とCにそれぞれ右の事情を説明して債務保証を依頼し、同人らの承諾を得た。その結果、同年八月六日、北東開発が芙蓉総合リースから二二億円の借入れをし、これに東京佐川急便が債務保証した。

その後、芙蓉総合リースが求めていた間組の債務保証が得られなかったことなどから、芙蓉総合リース側の意向により東京佐川急便が借りて北東開発に転貸することになり、Jは、被告人とCにそれぞれ右の点について説明し、東京佐川急便が芙蓉総合リースから三五億円を借りてこれを北東開発に転貸することを依頼し、同人らの承諾を得た。これに基づき、同年九月二八日芙蓉総合リースから東京佐川急便に五億円の貸付けが実行され、これを北東開発が更に借りるという形で同額の貸付けがされ、さらに、同年一〇月二二日、残金三〇億円の貸付けが同じ方法で実行された。

(3) アポロ不動産株式会社からの二〇億円の借入れに対する債務保証(別表Ⅲ番号4)

Jは、平成二年九月ころ、借入金の返済、北祥産業、北東開発の運転資金のほか、Kのヘリコプター購入代金等を得るため、アポロ不動産から谷田部カントリークラブ開発資金名目で借入れすることにし、被告人とCにそれぞれ右の事情を説明して債務保証を依頼し(ただし、右のヘリコプター購入代金の点は、借入れ実行後に報告)、同人らの承諾を得た。その結果、同月五日、北東開発がアポロ不動産から二〇億円の借入れをし、これに東京佐川急便が債務保証した。

(4) 東京ファクター株式会社からの三〇億円の借入れに対する債務保証(別表Ⅲの番号7)

Jは、平成二年一一月初めころ、Kの本州製紙株の買付け資金を得るため、前記桑原芳樹が経営する東京ファクターから谷田部カントリークラブ開発資金名目で三〇億円の借入れを受けることにし、被告人とCにそれぞれ右の事情を説明して債務保証を依頼し、同人らの承諾を得た。その結果、同月一四日、北東開発が東京ファクターから三〇億円の借入れをし、これに東京佐川急便が債務保証した。

以上の事実によると、東京佐川急便の本件債務保証及び貸付けは、被告人がCと共同して決定したことを優に認めることができる。さらに、本件に至るまでの経緯、被告人とK、Jらとの関係、債務保証及び貸付けの決定におけるJの役割、本件各借入金の使途、これによる利益の帰属状況等に徴すると、本件についてK、Jらとの共謀も認められる。これと同趣旨の被告人の検察官調書は、十分信用することができる。

3  これに対し、弁護人は、被告人は、東京佐川急便において営業に専念し、経理財務関係はそのすべてをCに任せており、Cの経理業務に関する権限は会社の本来的な業務だけでなく、およそ資金の問題については会社にまつわるすべての事項に及んでいたところ、北祥産業、北東開発に対する本件債務保証等についても、その可否の判断を全面的にCに任せたものであり、被告人が決定したものではないと主張する。

(一) そこで検討するのに、関係証拠によると、所論が指摘するように、被告人は、かねてCを信頼し、東京佐川急便の経理財務に関する業務については、これを広くCの判断に委ねていたものと認められる。

しかし、本件北祥産業、北東開発に対する資金援助は、その総額も一件の額も多額であった上、確実な回収等が危ぶまれた点で、東京佐川急便にとって重大な案件であっただけでなく、援助それ自体が東京佐川急便の本来の業務である一般貨物運送事業とは関係がなく、後記のとおり、被告人自身とKとの特別な関係に基づき被告人自身が方針決定し、被告人自身の利益のために行われたものである点で、東京佐川急便にとって特別の案件であったということができる。したがって、いかに経理財務に関する業務が広くCの判断に委ねられていたとしても、およそ被告人の意向と無関係に本件債務保証等が行われたとは到底考えられない。

(二) 他方、Cにおいて、自己の判断だけで北祥産業等に対する債務保証等を決定したとみられる特別の事情はなかったと認められる。確かに、Cも、Jらから種々の接待や利益供与を受けるなどしていて、K側との浅からぬ癒着があったことは事実であり、そのような癒着等がCがK側からの個々の資金援助要請に応じた背景事情としてあったと認められるが、それがCにおいて独断で本件債務保証等を決定したとみられるような特別の事情であるとは考えられない。

この点に関し、所論は、Cの別件市原観光開発株式会社、リバスター音産株式会社に係る特別背任事件において、Cが独断で巨額の債務保証等を行っていたことから、本件北祥産業、北東開発に対する債務保証等も同じであるというが、右の特別背任事件は、Cが責任者として深く関与した東京佐川急便の株取引に関して多額の損失を発生させたことが発端となった事案であることが窺われ、被告人自身の利害に関して行われた本件債務保証等とは、経過も性質も異なるというべきであるから、右所論は失当である。

(三) さらに、JらK側の者についてみても、Jらが頻繁に東京佐川急便に足を運ぶなどして、被告人に取り入ろうと種々努めたのは、何よりも、被告人が東京佐川急便の最高責任者として業務全般について実権を有し、資金面についても最高の権限を有していると認識していたからであり、北祥産業、北東開発に対する個々の債務保証や貸付けについても、被告人が承諾を与えるのでなければ、Jがその都度被告人に説明することはなかったというべきである。

この点につき、Jは、捜査及び当公判において、東京佐川急便に債務保証等を依頼するときは必ず被告人とCにお願いに行き、資金使途等を説明していた旨を述べ、LもCも、当公判において、それぞれこれに沿う供述をしているが、これらの供述は、十分信用できると認められる。

被告人は、当公判において、本件の債務保証や貸付けについては、Jから一切依頼を受けていないし、了承をしていない旨を供述しているが、右供述は、これらJ、Cの供述に照らして、到底採用できない。

右の点に関し、所論は、Jが、被告人の承諾を得ていないのに、Cに対し右承諾を得たように欺罔して本件債務保証等を引き出した可能性も多分に考えられるなどというが、本件各証拠を検討しても、そのような可能性があるとは認められない。

(四) 被告人は、当公判において、Jから資金援助の依頼があった場合には、通常自分は承諾を与えることはせず、Cと相談しろなどと言ってCに「振り」、Cの判断に一任していたなどと供述している。

しかし、この点は、Cが、当公判において繰り返し説明するように、もともと被告人自身がK関連会社の運営やその事業に資金援助をするという大方針を決めており、その大方針の下に、多額の資金を要するゴルフ場開発等の各事業の遂行についても、被告人が基本的に了承していたのである。そうすると、被告人が右の基本的に了承した範囲内で生じる個々の資金要請については、分かったなどと言って明示の承諾を与えた場合はもとより、たとえJから話を聞いてCと相談しろと述べた場合であっても、これに特段の反対意思を表明しないでCのところに行かせたものである以上は、被告人が承諾したものとみるほかはないのである。

4  以上のとおりであるから、本件債務保証等につき被告人は決定していないとの弁護人の主張は、理由がない。

三 本件債務保証等の動機、目的

1  弁護人は、被告人には検察官が主張するような自己保身の目的などなかったと主張する。

2 本件各証拠を総合して検討するのに、被告人は、判示のとおり、Kに依頼して、私事に関するブラックジャーナルの記事掲載を差し止めてもらったり、知人の息子の暴力団員との間のトラブルを解決してもらったりするうち、組織暴力団稲川会の最高幹部であるKの力が強大であることを実感し、これを自己の佐川急便グループ内外における権勢の維持、拡張に利用しようと考え、その見返りにKが支配する北祥産業等のKの関連会社に資金援助するようになり、Jを介したKの依頼に応じて、北祥産業等に債務保証、貸付けを続けたが、判示の経緯の下に、K及びその関連会社の事業はほとんど失敗に帰し、北祥産業、北東開発は、遅くとも平成二年五月の時点において、多額の債務を抱えて経営が破綻し、それ以上両者に債務保証や貸付けをしても、早晩保証債務の履行を求められ、あるいは貸付金の回収が危ぶまれる状況にあった。そして、被告人は、北祥産業、北東開発が右の状況にあることを認識しながら、敢えて本件債務保証等の要請に応じたものであるところ、それは、もし右要請に応じないで北祥産業、北東開発が倒産すると、それまでに右両者に対して行った不適正な債務保証、貸付けの実態が明らかになり、D会長や清和商事側から経営責任を追及されて東京佐川急便の代表取締役の地位を失うことになりかねないところから、そのような事態を回避し、東京佐川急便の経営権を維持、確保するという自己保身の動機によるものと認められるから、自己の利益を図る目的があったと認められる。さらに、本件債務保証、貸付けにより北祥産業、北東開発に、ひいては両社を支配するKに経済的利益が生じるところ、この点の図利目的もあったと認められる。

なお、被告人には、北祥産業、北東開発に対し新たな債務保証、貸付けをすることによって東京佐川急便の損害を最小限にし、その利益を図ろうという意思もあったと思われるが、それが損害を拡大させる危険が大きかったことも認識していたと認められることなどからすると、結局は東京佐川急便の利益を期待していたにとどまり、主たる目的は自己保身のためであったと認められる。

3  これに対し、弁護人は、① 東京佐川急便における被告人の地位は安定していてD会長の意向に左右されることはなく、被告人がD会長と対抗しようとしたこともない、② 被告人がK及びその関連会社を応援したのは、Kが極めて温厚な人物であり、正業により利益を上げて税金を納めたいなどという考え方にも好感が持てたからである、③ 被告人は、昭和六二年後半に有力政治家を巡るトラブルの解決をKに依頼し、解決してもらったが、それにより特段の義理ができたとの思いはなく、その他の政治家に絡むトラブル案件、ブラックジャーナルの件、知人の息子の暴力団とのトラブルの件は、Jに雑談で話しただけで、Kに依頼したことはない、④ 被告人は、平成元年一一月ころKから一七億円余の預金通帳を受け取ったが、それはKの申出を受けて、被告人が福島交通のM会長から二〇億円を借りてKに預け、その運用に委ねた結果として元利の一部を受け取ったものであり、謝礼として受け取ったのではないことなどから、被告人に検察官が主張するような目的はなかったと主張し、被告人も、当公判において、これと同旨の供述をし、自己保身等の目的はなかったと述べている。

(一) ①の点についてみると、関係証拠によれば、次の事実が明らかである。

すなわち、東京佐川急便の株式は、その三分の二近くをD会長及び清和商事側が所有していたほか、東京佐川急便と清和商事との間の業務統轄契約により、部長から社長までの役職員の任免権、手数料徴収権等も清和商事にあると定められていた。また、清和商事は、東京佐川急便を含むグループ傘下各社から、銀行取引明細、試算表、決算報告書等の会計書類や、売上高、人員数、車両台数等が分かる営業関係の報告書などを提出させ、あるいは清和商事の係員が各社に出張して直接経理状態等を監査するなどし、右業務統轄契約の手数料も、清和商事が一方的に決定して傘下の会社から徴収していた。このように、清和商事の東京佐川急便などのグループ傘下各社に対する指導監督は、契約上も実際上も強大であった。

しかも、Dは、清和商事の会長であったが、佐川急便グループの創始者、オーナーとして、グループ内で強烈な個性を発揮しつつ、権勢をほしいままに振るい、自己の一存でグループ傘下各社の社長をしばしば更迭したり、主管店の管轄を変更したりし、あるいは営業至上主義若しくは利益至上主義を唱えて労働法規等は遵守する必要はないなどとする独自の方針をグループ傘下各社に押し付けるなどした。そのためグループ傘下各社の幹部は、D会長の専横を畏怖し、その顔色を窺うような状態であった。

以上のほか、昭和五一年四月ころから昭和五三年一一月ころまでの間、D会長の指示により、東京佐川急便と新東京佐川急便の二つの会社が東京二三区を二つに地域分けをして営業したことがあり、そのころ被告人が東京佐川急便の株式の六〇パーセントをD会長に無償で渡したこと、平成元年一月清和商事がグループ傘下各社の株取引を禁止し、特に東京佐川急便に対してはCを清和商事に呼んで厳重に注意したことなどから、東京佐川急便も株取引から撤退を余儀なくされるなどしたこと(被告人の当公判における供述によると、その際被告人は、D会長からCの解任を命じられたという。)、さらに、被告人は、本件北祥産業、北東開発に対する債務保証等を含む巨額の債務保証が発覚したことから、D会長の意向により東京佐川急便の代表取締役社長の座だけでなく、取締役の地位からも追放されたことなどの事実がある。

このようにみると、佐川急便グループの総帥であったD会長の権勢は、絶大なものであり、被告人といえども、その意向に逆らうことのできない状況にあったことが明らかである。

この点につき、東京佐川急便の常務取締役総務部長であった赤塚普知雄は、当公判において、東京佐川急便は独立法人であるが、実際には法人格が否定されているような状況であった。人事も給与も経営方針もすべて清和商事が支配しているという認識を持った、D会長の意向に反する内容の取締役会議事録を清和商事に見られると、それに関与した者は全部首になるという危機感を常に持っていた。全国の各主管店の社長は、D会長の鶴の一声でいつ首が飛ぶかわからない状況であり、それは被告人であろうと例外ではないという認識を持っていたなどと供述しているが、これは、D会長の権勢等が右認定のような状況にあったことを説明したものとして、信用できると認められる。

もっとも、当時D会長と被告人との間に表立った対立関係はなく、むしろD会長は被告人の経営手腕を高く評価し、また、被告人のことを「××ちゃん」と親しく呼ぶなど、両者は円満な状態にあったと認められるが、それは、当時の東京佐川急便がグループ内で抜群の業績を上げるとともに、被告人がD会長に恭順の態度を取っていたからであって、もし本件のような巨額の不良保証、貸付けがあることが発覚すれば、その責任をD会長及び清和商事側から厳しく追及されることは必至の状況にあったと認められる。

以上の認定と異なる被告人の供述は、不自然である。

(二) 次に、②の点についてみると、関係証拠によれば、次の事実が明らかである。

すなわち、被告人は、判示のとおり、昭和六〇年一月、Jの紹介によりKと初めて面識を持ち、それから間もなくしてKが支配する北祥産業等に資金援助をするようになったところ、Kは、組織暴力団稲川会の最高幹部であり、昭和六〇年九月以降は稲川会二代目会長の地位にあったのである。稲川会は、神奈川県、静岡、東京などを主な地盤とし、数千名の構成員を要する全国でも屈指の広域暴力団であり、本件後の平成四年六月に東京都公安委員会から、暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律三条に規定する暴力団として指定されている。そして、被告人がKと面識を持った時期は、同人が服役を終えて間もないところであったが、Kにおいては、前述のとおり、自己資金の用意も確かな事業計画もなく、もとより社会的信用も皆無であり、たとえ正業により利益を上げようとしていたとしても、利益目的を追求しようとする企業がまともに出資や融資の相手とするような人物とは考えられない。

東京佐川急便は、右のような暴力団幹部が経営する北祥産業、北東開発に対し、本件の莫大な債務保証や貸付けをしたところ、これは、被告人が供述するような理由によっては到底理解できないことである。この点の被告人の供述も、不自然、不合理というほかはない。

(三) ③の点は、Jの当公判における供述等によれば、被告人が、判示のとおり、Jを介してKに依頼し、私事に関するブラックジャーナルの動きを封じてもらったり、知人の息子の暴力団員とのトラブルを解決してもらったりしたほか、政治家に絡むトラブルの解決についてもKに依頼したこと、そして、被告人がそれらのことをKに対する借りと認識したことが明らかである。

また、漕野通雄の検察官調書(二通)その他関係証拠によれば、昭和六二年後半の有力政治家を巡るトラブルについては、Kに右翼団体の活動の阻止を依頼したこと自体が重大であり、しかも、Kにおいて相当な尽力をし、その結果功を奏したことなどに照らし、被告人がこれをKに対する大きな借りと受け止めたことに疑いはなく、このことがK側からの資金要請に応じた理由の一つとなっていると認められる。

以上と異なる被告人の供述は、不自然であり、信用できない。

(四) ④の点は、被告人の当公判における供述によっても、Kに二〇億円を預けた時期や東急電鉄株の買い付けに充てられた一〇億円以外の一〇億円の使途、あるいはその一〇億円が返還などされないのに再度Kが最初の一七億円の中から一三億円を運用に回した理由等が不明であり、この点の被告人の供述は疑わしい。

また、Mの関連会社の役員金田日支紀は、Mに指示されて平成元年三月ころ現金二〇億円を東京佐川急便に運んだ旨を、Kの側近であった相島功は、Kの指示で被告人から二〇億円を受け取った旨をそれぞれ当公判で供述しているが、金田が供述する二〇億円と被告人名義で東急電鉄株の買い付けに充てられた一〇億円との関連は不明であり、相島の供述も被告人から二〇億円を受け取った時期が明確ではなく、被告人の供述を裏付けるものとはいえない。

他方、右一七億円余は、平成元年六月と九月に、Kの指示で二回にわたりK関連会社である東広ファイナンス株式会社から被告人への貸付金として帳簿処理されて捻出された合計一〇億円を原資として東急電鉄株が売買され、それにより得られた金員であることが明らかである。

このようにみると、Kが被告人に一七億円余の預金通帳を渡したのは、被告人が捜査段階で自認するとおり、名目は東急電鉄株の売却代金であるが、実質はKからの一七億円余の贈与であって、被告人もその趣旨を認識しながらこれを受領したものであり、これも被告人がKに対する負い目と感じ、K側に対する資金援助を続けた理由の一つとなったものと認められる。

(五) 被告人は、その検察官調書において、本件債務保証、貸付けをした動機、目的について、北祥産業、北東開発に対する資金援助を拒否して両社が倒産すれば、自分がCに命じて行った杜撰な貸付けや債務保証が露顕するが、そうなると、D会長のことなので私の首を切るであろうが、東京佐川急便の社長の地位から追われたくなかったこと、また、Kから受けていた借りや金が第二の理由であること、つまり、借りとはKの力を借りて有力政治家のトラブルを解決してもらったこと、金は一七億円をもらったことであることなどを供述しているが、この供述は、これまで検討してきたところに照らし、十分信用できるというべきである。

4  以上のとおりであるから、被告人には自己の利益を図るなどの目的はなかったとする弁護人の主張も、理由がない。

第二  平和堂グループ関係事件

一 平和堂グループの経営実態と被告人の認識

1  弁護人は、被告人には平和堂グループの経営実態や事業の状況について認識がなく、本件当時東京佐川急便が平和堂グループに債務保証、貸付けをすれば、東京佐川急便が債務の履行を求められ、貸付金の回収が困難となる状況にあったことについても認識がなかったと主張する。

以下、平和堂グループの経営実態等をみた上、被告人の認識の点について判断する。

2  本件各証拠によると、本件当時の平和堂グループの経営状態等について、次のとおり認められる。

すなわち、平成元年一一月末の時点で、B個人を含む平和堂グループ全体の借入金残高は、合計約三二七億円(乙一分を除くと、約二六〇億円)であり、そのうち東京佐川急便からの直接借入分は約七億円、東京佐川急便の債務保証分は約一八七億円であった。また、残る借入金も、東京佐川急便の債務保証等による借入金で取得した不動産や株式を担保とする借入れであったので、結局ほとんどすべての借入金が東京佐川急便の負担によるものであった。

さらに、これらの借入金に対する金利負担も重く、右平成元年一一月中に支払うべき金利は、合計約二億五八〇〇万円余に及んでいた。

一方、当時の平和堂グループ全体の資産は、取得金額で合計約一〇五億円相当の不動産と時価評価額で合計約一五七億円相当の株式があったに過ぎなかったので、大幅な債務超過状態にあった。しかも、B及び平和堂グループは、確実な収益を期待できる事業は何もしていなかった上、保有する不動産は転売等の見通しが立たず、資金が固定化していたばかりか、多額の損失が予想されるものもあり、株式も株価の低迷等から多額の資金が固定化し、高額の金利負担等を考えると利益は乏しいものであった。

右のB及び平和堂グループの事業の内容等は、おおむね以下のとおりである。

(一) Bは、昭和六一年一二月に平和堂不動産を設立後、東京佐川急便から本格的な資金援助を受けるまでの昭和六三年四月までの間に、平和堂不動産の名義で、ア 新宿区下落合の宅地、イ 板橋区赤塚の居宅、ウ 杉並区久我山の宅地の三つの物件を合計三億五〇〇〇万円で取得したが、それらは、直ちに転売の見通しの立たないもの(アの物件)、Bの実家を取り戻したもの(イの物件)、転売目的で購入したが隣地の買増しができないため転売できず、Bの自宅として使用したもの(ウの物件)であり、これらに投下された資金は何らの利益を生み出すことはなかった。

Bは、その後、昭和六三年八月に平和堂不動産の本店事務所を文京区湯島から千代田区外神田に移転して本格的に不動産事業に乗り出し、平成元年一二月までの間に、エ 港区新橋の宅地及び建物、オ 品川区南品川のマンション、カ 千葉県君津市、木更津市の山林、キ 茨城県稲敷郡阿見町の宅地及び雑種地、ク 世田谷区奥沢のマンション、ケ 前記久我山の宅地の隣地(宅地)、コ 葛飾区堀切の宅地、サ 浦和市太田窪南の雑種地、シ 鎌倉市梶原の山林、ス 台東区浅草の宅地の各物件を合計約三七億円で取得した。

しかし、それらのほとんどは、十分な調査や事前の計画に基づかずに購入するなどしたものであり、譲渡担保として取得したが権利関係が複雑であり(エ、オ、カ、サの各物件)、市街化調整区域の制約が容易に外れそうになかったり(キの物件)、あるいは市の開発許可が下りそうになかったり(シの物件)して、転売や開発に支障を生じている状況にあり、平成元年一一月末の時点までに利益を上げるどころか、売却できたものは一件もなく、これらに投下した資金が長期にわたって固定する結果となっていた。

(二) さらに、Bは、平成元年九月、住友開発名義で、米国サンフランシスコのリゾート開発事業に関して四二〇〇万ドル(約六一億円)を投資したが、この投資も事前の調査が極めて杜撰であり、東京銀行の現地支店からも推奨できないとされたのにこれを無視して実行したものであって、同年一〇月には詐欺まがいの案件であることが分かり、開発の見通しが立たないばかりか、土地等の転売も容易ではなく、右の資金も固定化することになり、多大な損失が予想されるものであった。

(三) Bは、昭和六三年一月ころから、主に、証券会社の歩合外務員の情報に基づき仕手株の銘柄を中心に株取引をするようになったが、思うように利益は上がらず、同年秋ころになると、右外務員が推奨した銘柄の株はかなりの売買損や評価損を抱えるようになり、平成元年秋ころも、好転する兆しはなかった。

平成元年一一月末の時点で、B及び平和堂グループの保有株は、時価評価額で合計約一五七億円(取得価額で合計約一五五億円)あり、そのうち、ギャラリー平和堂名義の株式で約一四〇〇万円の評価益を上げていたが、平和堂不動産名義の株式で約七〇〇〇万円、平和堂(上野)名義の株式で約三億九二〇〇万円、乙一名義の株式で約四億一七〇〇万円の合計八億六五〇〇万円余りの評価損を抱えていた。しかも、これらの大きな評価損を抱えた株式の大半は、いわゆる仕手株であったので、これらを売却すれば、値崩れを起こして右金額以上の売却損を生じるおそれがあった。

一方、右の時点で、B名義の株式は約一〇億六八〇〇万円の評価益を計上していたが、そのほぼ半分に当たる約五億二六〇〇万円も仕手株(昭和海運株)の高騰によるものであったから、これも大量に売却すれば値崩れを起こすおそれがあり、売却しにくい状況にあった。

そのほか、平和堂グループにおいては、購入した株式等を担保に入れて株式購入資金を更に調達するという方法が採られていたので、株式投資においても、多額の資金が固定する結果となっていた。

(四) 平和堂グループは、平成元年一二月以降も、東京佐川急便の債務保証、貸付け等を受けながら事業経営を続けていたが、その間にBが行った株式投資、不動産投資等の状況は、おおむね次のとおりである。

(1) 株式投資について、Bは、主にⅠの指示に従い、大量の資金を投じて本州製紙株などの仕手株の取引を行い、さらに、他の筋の情報により群栄化学工業株の仕手戦にも乗り、同工業株を買い進むなどしたが、本州製紙株は平成二年八月末に最高値をつけた後に急落し、群栄化学工業株も平成三年一月に下落して回復せず、Ⅰらに賭けた株取引は無残な結果に終わった。

この間、B個人を含めた平和堂グループ全体においては、平成元年一二月には約二億五六〇〇万円の評価益が生じていたが、翌平成二年一月以降は株価の下落等のためほぼ毎月一〇億円を超える評価損を生じており、現実に同年一一月には二一億五〇〇〇万円、同年一二月には二五億円の売買損を生じる結果となり、平成三年三月末の時点では時価評価額は合計約二〇四億三七二七万円であったが、合計一〇億四三二六万円の評価損を計上していた。

(2) 不動産等の投資について、Bは、ア 前記サンフランシスコのリゾート開発予定地の隣地の倉庫(コストプラスビル)、イ 山梨県南部町でのゴルフ場の開発を目的とした南部巨摩カントリークラブ株式会社、ウ 中央区銀座の宅地、渋谷区松濤の宅地、世田谷区松原のマンション、エ 綾瀬市深谷の山林、オ 鎌倉市笛田の雑種地、カ 熱海市桃山のマンション、キ 鎌倉市七里ケ浜の山林、ク 逗子市の山林を総額約一四〇億円で取得又は買収した。

右のカの物件は、平和堂グループの保養所とするために購入したものであり、それ以外の物件は、転売を目的としたものであるが、いずれも転売できずに残った。イのゴルフ場開発も格別の進展もなく、頓挫した。そのため、右各物件を取得等するために投下した資金も固定化し、金利負担を増大させるだけの結果となった。

(3) B個人を含む平和堂グループ全体の借入金残高は、平成元年一二月末で約四一四億円であったが、平成二年一二月末には約七五五億円、平成三年三月末には約七三二億円と増加した。右の最終段階における借入金残高のうち、東京佐川急便からの借入分が約一五一億円、東京佐川急便の債務保証による借入分が約三七七億円であった。

(4) 本件の債務保証、貸付けによる資金は、平和堂グループの既存の借入金の元利支払い、各社の諸経費等に充てられたほか、本州製紙株、群栄化学工業株などの株式貸付け資金、南部巨摩カントリークラブの買収資金、その他不動産の買付け資金等に充てられたが(なお、別表Ⅰの番号4は、株式を担保とする従前の借入れにつき担保不足を理由に返済を求められたのに対し、借入れを継続するためにした債務保証である。)、株式投資も不動産投資も失敗に終わったことは、右(1)(2)のとおりであり、本件借入れが平和堂グループの負債全体の軽減につながることはなかった。

本件の各借入金については、その一部が返済されたが(別表Ⅰの番号3につき、二億円が返済。別表Ⅰの番号4につき、平成三年四月五日三和銀行が再度平和堂不動産に同額を貸し付けることを条件に東京佐川急便の資金により二四〇〇万ドル(借入れ時の円換算で約三三億九五〇〇万円)の元利金がいったん返済され、同年五月一四日同銀行秋葉原支店から平和堂不動産に三六億円が貸し付けられ、その後平和堂不動産が差し入れた株式に対する担保権が行使されて約七億二二〇〇万円が返済。別表Ⅰの番号5につき、差し入れた株式に対する担保権の行使により約一六億六四〇〇万円が返済。別表Ⅰの番号7につき、乙一により二四〇〇万円が返済。)、大半が返済されずに東京佐川急便の負担となっている(なお、別表Ⅰの番号1、同3(ただし、前記二億円が返済された後の一八億円)は、平成三年五月三一日東京佐川急便の子会社である東日本運輸興業株式会社が代位返済し、その後債務者が東京佐川急便に変更された。)。

3  以上の事実を総合すると、B及び平和堂グループは、平成元年一二月当時、約三二七億円もの多額の債務を抱えており、一方、資産としては、取得価額で約一〇五億円相当の不動産と、時価評価額で約一五七億円相当の株式があったに過ぎず、大幅な債務超過の状態にあった。しかも、それらの資産は、不動産はそのほとんどが短期間の転売で利益を得ることが困難な物件で、長期にわたり保有せざるを得ない見通しになっていたものが多く、株式も多額の評価損を生じていた上、売りに出せば値崩れを起こすものが少なからずあり、不動産も株式も多額の資金を固定化させる結果となって金利負担だけが増大し、多額の損失を生じるおそれがあり、他に一定の収益を期待できるような事業計画等はなかったことなどから、平和堂グループ全体の経営は、破綻に瀕していたと認められる。

さらに、B及び平和堂グループは、平成元年一二月以降も、経営状態は好転せず、Bが本件債務保証等による資金を投下して行った株式投資は、それまでの損失をIらの仕手戦に乗って一気に挽回することを狙った博打的な取引であり、同じく不動産投資も、安易な見通しの下に当然行うべき事前の調査や検討をしない極めて杜撰なものであったことなどから、新たに貸付け等をしても、その返済が危ぶまれる状態にあったと認められる。

4 そこで、右のような平和堂グループの経営状態等に関する被告人の認識についてみると、関係証拠によれば、Bは、被告人と面識を得た当初はGに連れられて、その後は一人で東京佐川急便の被告人の下に頻繁に出入りし、あるいは夜の飲酒の席などにも被告人に同伴するなどして、努めて被告人との接触の機会を持っていたこと、平和堂グループが東京佐川急便から貸付け、債務保証を受けるについては、B本人が東京佐川急便に出向いて被告人に会い、資金を必要とする事情、資金使途等について、債務保証の場合には、時には借入れ先の銀行の担当者を伴うなどしながら、借入先等についても説明して援助を依頼していたことが明らかである。

そうすると、被告人においては、Bの言動等から、遅くとも平成元年一二月ころまでには、B及び平和堂グループが東京佐川急便の資金援助を受けて不動産や株式に膨大な投資をしながら、利益が上がる状態になく、多額の損失を生じるおそれがあったことなどから、その経営状態は不良であったこと、さらに、平成元年一二月以降も、平和堂グループは債務が増大するだけの状態であり、とりわけBが挽回を図ろうとして、Iの仕手戦に乗って一挙に利益を上げる狙いで東京佐川急便の資金援助を求めてきたものであること、不動産等の投資も相変わらず利益を上げる状態になかったこと、したがって、これ以上東京佐川急便が債務保証をして新たに借入れを受けさせ、又は東京佐川急便が新たに貸し付けても、平和堂グループの当面の倒産を回避できるにとどまり、結局は東京佐川急便が保証債務の履行を求められ、あるいは東京佐川急便の貸付金の回収が困難となる事態となることも認識していたと認められる。

5  これに対し、弁護人は、被告人は、Bからは株取引も不動産取引も極めて好調に推移しているという報告だけを聞かされ、債務保証等の残高が高額であるなどの報告もなかったことなどから、検察官が主張するような東京佐川急便の損害発生の認識などなかったと主張し、被告人も当公判において、自分はBから騙されていたのではないかなどと述べて、これと同旨の供述をしている。

(一) そこで検討するのに、もとより、Bが融資を求める立場の者として、ことさら被告人に融資を躊躇させるような悲観的な説明をしたことはなかったと思われる。しかし、Bについても、被告人に取り入って長期間、継続的に東京佐川急便から資金援助を引き出そうとしていたのであるから、被告人との信頼関係を維持することに留意していたものと考えられる。したがって、Bが自らその信頼関係を崩すような言動を取っていたとは考えられず、平和堂グループの事業経営の客観的状況についても、また、具体的な資金援助を依頼する場合には資金を必要とする事情や資金使途等についても、それらを偽ることなく説明していたとみることができる。

(二) さらに、関係証拠によれば、次のとおり認められる。

すなわち、被告人は、昭和六一年秋ころ、GからBを紹介され、さらに、そのころ、Hからも事業家になりたいと言っているので援助をして欲しいなどと口添えがあってBと面識を持ち、昭和六二年八月Bの実家の取戻し費用として一億円を貸し付けたのを手初めに、以後東京佐川急便から資金援助をするようになったものである上、前述のとおり、Bは被告人と面識を持ってからは被告人の下に頻繁に出入りしていたことなどから、被告人は、Bには自己資金も事業の実績も何もなく、専ら被告人の取り計らいによる東京佐川急便の資金援助に期待して被告人に接近してきたものであることを承知していたと考えられる。

次に、被告人は、Bが東京佐川急便の債務保証、貸付けを受けて資金を調達し、平和堂グループ各社を設立した上、大々的に株取引、不動産取引を行っていたこと、そして、それらが利益を上げることなく、不良な結果に終わっていたことについても知っていたと認められる。

とりわけ、Bが行った株取引については、それが大規模なものであっただけでなく、その方法が、主として、初めのころは、当時評判の高かった証券会社の歩合外務員の情報による仕手株であり、また、平成元年一二月ころからはIの仕手戦に乗る形で資金を投入したもので、いずれも極めて投機性の高い取引であったが、被告人は、そのこともBから右外務員を紹介されたり、Iと引き合わされたりして十分認識しており、特にI銘柄の株取引については、自らBに対し、Iが百戦練磨の人物であるから注意して付き合えなどとその危険性を指摘してその後の取引を行わせたものであることが認められる。他方、本件犯行の前後を通じて、Bから、個々的に株取引で売却益を上げたなどという報告はあっても、右外務員が推奨した銘柄、I銘柄の株取引が全体として成功したとか、具体的に大きな売却益が上がったなどという報告がなかったことは、被告人の当公判における供述によっても明らかであるから、株取引に投下した膨大な資金が固定化した状態にあることも当然認識していたと認められる。

さらに、Bが行った不動産取引等についても、被告人は、Bから売却が延びているとか、市の開発許可が遅れているとか、あるいは南部巨摩カントリークラブの話を持ち込んできた○○は信用できない男だったとかの報告を受けても、実際に物件が転売されたとか、その具体的な目処が立ったとかの報告は一件も受けていないのであるから、不動産に多額の資金を投下したまま、回収できないでいることを認識していたことも明らかである。そればかりか、被告人は、例えば、サンフランシスコのリゾート開発の件については、前記のとおり、Nから右の案件を懸念し、資金の早期回収を勧める手紙を受け取ったことなどから、Bと東京銀行の担当課長に直接問い質し、早期の転売を促すなどしていることからみても、この件についての多額の投資が損失に終わる危険性のあることも察知していたものとみることができる。

以上のほか、後にみるとおり、本件債務保証、貸付けを含めてB及び平和堂グループに対する東京佐川急便の資金援助は、東京佐川急便の本来の業務から外れ、主に被告人自身の利益のために行われていたものであること、本件の債務保証、貸付けについても、被告人がBからその必要性などの説明を受けて承諾を与えていることなどを考え合わせると、被告人が平和堂グループの経営状態、事業の進行状況、債務返済能力等について正しく認識していなかったとは認め難い。

(三) なお、Bは、当公判において、本件当時株価は下がっていたが、いずれは上がり、不動産も、いずれは利益を上げられると思っており、特に株取引についてはIの情報を確実なものと信じていた旨を述べ、自己の事業に不安はなかったと供述している。

しかし、本件当時のB及び平和堂グループの事業経過等については、前記認定のとおりであり、これによると、平和堂グループの経営が不良であり、辛うじて東京佐川急便の資金援助を受けることによって事業及び経営を継続していたことが明らかである。これに、B自身が東京佐川急便から資金援助を受けて博打ともいうべきIの仕手戦に乗って株取引に資金を注ぎ込んだこと、そのため金利のかからない資金を集める必要があるとしてメディカルセンター開設のため銀座の宅地等を購入したり、南部巨摩カントリークラブを買収したりしたことなどを考え合わせると、Bにおいても、平和堂グループの経営が不良であり、資金が固定化して金利負担だけが増大する状況にあり、債務返済能力がないことを認識していたと認められる。Bがいう将来の株価の値上がりとか、不動産の転売とかという点は、当時それらの確実な見込みがあったとは認め難く、Bの期待ないし願望であったに過ぎない。

(四) 被告人は、その検察官調書において、平成元年一二月ころまでに東京佐川急便が資金も信用もないBと平和堂グループに膨大な額の債務保証、貸付けをし、Bは、その資金を株取引と不動産取引に投入したこと、株取引は、Bがトップクラスの情報の持ち主として連れて来た証券会社の歩合外務員の情報に基づく仕手株の取引であり、買付け資金について東京佐川急便が債務保証等をしたが、右外務員が推奨した銘柄の株は値下がりして利益が上がらなかったこと、不動産取引も、Bの依頼に応じて債務保証をしたが、不動産に投入した資金のうち、六五億円位がサンフランシスコのリゾート開発のために充てられたところ、その一月位後にNからこの投資を懸念する手紙を受け取ったので、Bや東京銀行新宿支店の担当課長を問い質すなどし、転売を急がせたが、開発は始まらず、やがて転売の件も立ち消えになり、この資金が固定化したこと、平成元年一二月ころBの引き合わせで「仕手本尊」などと言われるIと会い、同人から資金援助を頼まれるなどしたこと、その直後ころBからIとタイアップして仕手戦をしたいと言って資金援助の依頼を受けたが、それは、それまでの損失を挽回するためにIの仕手戦に乗って一挙に利益を上げたいという意図によるものであったこと等について認識していたと述べているが、この供述は、これまで検討してきたところに照らし、大筋において十分信用できる。

6  以上のとおりであるから、被告人に平和堂グループの経営実態等につき認識がないとする弁護人の主張は、理由がない。

二 本件債務保証等の決定とBの共謀

1  弁護人は、本件債務保証、貸付けは、すべてCが決定したものであり、Bとの共謀の事実もないと主張し、被告人も、当公判において、これと同趣旨の供述をしている。

2  そこで検討するのに、本件各証拠によると、次のとおり認められる。

(一) 既に認定したとおり、被告人は、東京佐川急便の代表取締役社長として、同社の内部規程上、会社を代表するとともに、定款等で定められた方針に基づくなどして、会社の一切の業務を統括する権限を有するものとされ、実際上も、創業者社長、実力者社長として、会社業務全般について実権を振るい、Cら役職員を指揮しながら会社を経営しており、一方、Cは、東京佐川急便の経理担当の常務取締役として、資金調達、債務保証、貸付けを含む東京佐川急便の経理財務業務全般を担当していた。

(二) 平和堂グループが東京佐川急便から具体的に資金援助を取り付ける方法は、Bが東京佐川急便に行って被告人に会い、借入れの必要性、借入金の使途、債務保証の場合には借入先等の事情を説明して援助を依頼し、その承諾を得ると、Cに会い、被告人が了承していることを伝えるとともに、借入れの必要性等を説明して所定の貸出、保証等の事務手続を依頼するというものであった。

(三) 本件の各債務保証、貸付けは、次のように行われた。

(1) 株式会社東京銀行からの八億円の借入れに対する債務保証(別表Ⅰの番号1)

Bは、平成元年一二月中旬ころ、Iが仕掛ける仕手戦に賭けて一挙に利益を上げようと考え、そのための資金として、東京銀行新宿支店からギャラリー平和堂の絵画仕入れ資金名目で一〇億円位を借り入れることにし、被告人に対し、右の事情を説明して債務保証を依頼し、その承諾を得た。その結果、同月二二日、ギャラリー平和堂が東京銀行新宿支店から八億円の借入れをし、これに東京佐川急便が債務保証(保証極度額は一一億円)した。

(2) 京セラファイナンス株式会社からの三〇億円の借入れに対する債務保証(別表Ⅰの番号2)

Bは、平成元年一二月二〇日ころ、Iの仕手戦に投入する資金などを得るため、三和銀行秋葉原支店から京セラファイナンスを紹介され、同社から三〇億円を借り入れることにし、被告人に対し、I銘柄を買うほか、いろいろ金がいるので債務保証をしてほしいと依頼してその承諾を得た。その結果、同月二六日、平和堂不動産が京セラファイナンスから三〇億円の借入れをし、これに東京佐川急便が債務保証した。

(3) 東京佐川急便の一〇億円の貸付け、(別表Ⅱの番号1)

Bは、東京銀行新宿支店の担当者から東京佐川急便への直貸しであればサンフランシスコの倉庫(コストプラスビル)の貸付け資金一五億円のほかに、株買付け資金一〇億円を貸し付けると聞いたので、平成二年一月中旬ころ、右担当者を伴って被告人に会い、右の事情を説明して東京銀行からの借入れ等を依頼し、その承諾を得た。その結果、同月二二日、東京佐川急便が東京銀行新宿支店から一〇億円の借入れをし、これをギャラリー平和堂に貸し付けた。

(4) 東京佐川急便の一〇億円の貸付け(別表Ⅱの番号2)

Bは、平成二年二月下旬ころ、Iの仕手戦に投入する資金を更に得るため、被告人に対し、I銘柄を買うので資金付けをしてほしいなどと依頼してその承諾を得た。その結果、同月二八日、東京佐川急便が平和堂不動産に一〇億円を貸し付けた。

(5) 株式会社東京銀行からの二〇億円の借入れに対する債務保証(別表Ⅰの番号3)

Bは、平成二年三月中旬ころ、株の買付け資金などとして、東京銀行新宿支店から二〇億円を借りることとし、被告人に対し、株を買い進めているので債務保証をお願いしたいと依頼し、その承諾を得た。その結果、同月二二日、銀座平和堂が東京銀行新宿支店から二〇億円の借入れをし、これに東京佐川急便が債務保証した。

(6) 株式会社三和銀行からの二四〇〇万ドル及び五億円の借入れに対する債務保証(別表Ⅰの番号4)

Bは、昭和六三年一一月四日三和銀行秋葉原支店から株式を担保として五億円を、平成元年五月一五日から同年一二月七日までの間に計二四〇〇万ドル(約三三億九五〇〇万円相当)を平和堂不動産において借り入れ、これを株式買付け資金等に充てていたところ、右担保提供した株が下落して担保割れとなり、同支店から追加担保を要求され、株式による追加担保ができなければ東京佐川急便の担保証が必要であり、四〇億円の根保証がされれば追加融資も可能であると伝えられた。そこで、Bは、平成二年三月下旬ころ、被告人に対し、右の事情を説明するとともに、I銘柄をこれからも買っていかなければならないと述べて四〇億円の根保証を依頼し、その承諾を得た。その結果、同年四月五日三和銀行を債権者、平和堂不動産を債務者とする債務について東京佐川急便が四〇億円の包括保証をした。

(7) 東京佐川急便の三〇億円の貸付け(別表Ⅱの番号3)

Bは、Iの情報に基づき常陽銀行株と東邦銀行株を大量に買い付けることにし、その資金に充てるため、東京佐川急便の債務保証により京セラファイナンス株式会社から三〇億円の借入れを受けることにし、平成二年二月中旬ころ、被告人に右の事情を説明して債務保証を依頼し、その承諾を得た。そして、同月二〇日右京セラファイナンスから東京佐川急便の債務保証等により、Bに対し三〇億円の貸付けが実行されたので、右資金で常陽銀行株等を買い付けるなどし、返済期日(同月三〇日)に右債務をいったん返済した。その後Bは、右京セラファナンスから再度の借入れが可能であるとの見込みで、その借入金を当てにして東邦銀行株等を大量に買い付けたところ、右京セラファナンスから株価低迷を理由に再度の貸付けを断られたので、同年四月四日ころ、被告人に対し、右の事情を説明して三〇億円の貸付けを依頼し、その承諾を得た。その結果、同月六日、東京佐川急便がBに三〇億円を貸し付けた。

(8) 株式会社住友銀行からの三〇億円の借入れに対する債務保証(別表Ⅰの番号5)

Bは、株の買い付け資金などとして住友銀行秋葉原支店から三〇億円を借り入れることにし、平成二年六月中旬ころ、被告人に対し、右の事情を説明して債務保証を依頼し、その承諾を得た。その結果、同月二二日、ギャラリー平和堂が住友銀行秋葉原支店から三〇億円の借入れをし、これに東京佐川急便が債務保証した。

(9) 株式会社富士銀行からの二三億円の借入れに対する債務保証(別表Ⅰの番号6)

Bは、株取引による損失が拡大したところから、Iの仕手株である本州製紙株や別の筋の仕手株である群栄化学工業株に資金を投入して一挙に損失を補填しようとし、平成二年八月ころ、被告人に対し、右の事情を説明して東京佐川急便の取引銀行である富士銀行から東京佐川急便の債務保証で融資を受けられるようにしてほしいと依頼し、その承諾を得た。その結果、同年九月一七日、ギャラリー平和堂が富士銀行亀戸支店から二三億円の借入れをし、これに東京佐川急便が債務保証した(保証額は無限定)。

(10) 東京佐川急便の五億円の貸付け(別表Ⅱの番号4)

Bは、Iの仕手株であった本州製紙株が値下がりして莫大な評価損を計上することになったため、同種の株取引によってその補填を図ろうと考え、平成二年一〇月中旬ころ、被告人に対し、右の事情を説明して貸付けを依頼し、その承諾を得た。その結果、同月一七日、東京佐川急便が平和堂不動産に五億円を貸し付けた。

(11) 株式会社いずみコーポレーションからの二五億円の借入れに対する債務保証(別表Ⅰの番号7)

Bは、Gから引き継いだ乙一の債務整理等の資金をいずみコーポレーションから借り入れることにし、平成二年一二月中旬ころ、被告人に対し、右の事情を説明して債務保証を依頼し、その承諾を得た。その結果、同月二一日、平和堂不動産がいずみコーポレーションから二五億円の借入れをし、これに東京佐川急便が債務保証した。

(12) ハザマファイナンス株式会社からの一〇億円の借入れに対する債務保証(別表Ⅰの番号8)

Bは、Iの仕手戦や別の筋の仕手戦による株取引の失敗により巨額の損失を被り、借入金の金利の返済にも窮し、平和堂グループに融資する金融機関も容易に見つからない状況となったが、ようやくハザマファイナンスから東京佐川急便の債務保証を条件に一〇億円を融資する旨の内諾を得ることができ、平成三年二月二〇日ころ、被告人に対し、右の事情を説明して債務保証を依頼し、その承諾を得た。その結果、同月二八日、平和堂がハザマファイナンスから一〇億円の借入れをし、これに東京佐川急便が債務保証した。

(13) 東京佐川急便の五億円の貸付け(別表Ⅱの番号5)

Bは、平和堂グループの当座の資金繰りに窮し、平成三年二月下旬ころ、被告人に対し、右の窮状を訴えて貸付けを依頼し、その承諾を得た。その結果、同年三月一日、東京佐川急便がBに五億円を貸し付けた。

以上の事実によると、東京佐川急便の本件債務保証、貸付けは、被告人の承諾に基づき実行されたことが明らかである。さらに、本件に至るまでの経緯、被告人とBの関係、本件債務保証、貸付けの決定におけるBの役割、本件各債務保証等による借入金の使途、これによる利益の帰属状況等に徴すると、本件についてBとの共謀も認められる。これと同旨の被告人の検察官調書は、十分信用できる。

3  これに対し、弁護人は、被告人は、平和堂グループに対する本件債務保証等についても、その可否の判断を全面的にCに任せていたと主張する。

(一) しかし、Bを含む平和堂グループに対する資金援助についても、北祥産業、北東開発に対するそれと同様に、総額も一件の額も極めて多額であり、しかも、確実な債務返済が危ぶまれた点で、東京佐川急便にとって重大な案件であっただけでなく、後記のとおり、援助それ自体が東京佐川急便の本来の業務とは無関係の被告人自身とBとの特別の関係に基づき、被告人自身が方針決定し、被告人自身の利益のために行われたものであった点で、東京佐川急便にとって特別の案件であったのである。したがって、いかに被告人がCを信頼し、東京佐川急便の経理財務に関する業務を広くCの判断に委ねていたとしても、平和堂グループに対する債務保証、貸付けについて、被告人がその可否の判断をCに委ねていたとは到底考えられないし、Cが被告人の指示ないし了解なしに決定できたとも考えられない。

また、CとBとは格別の利害関係はなく、Cが被告人の指示ないし了解なしに平和堂グループに対する債務保証等を決定しなければならない特別の事情は何もなかったと認められる。

さらに、Bにおいて、かねて頻繁に被告人の下に出入りして被告人に取り入ろうとしたのは、いうまでもなく被告人が東京佐川急便の最高責任者として業務全般について実権を有し、資金面についても最高の権限を有していたと認識していたからであり、Bが被告人に資金援助の具体的依頼や説明をしないで、Cに直接要請することはあり得なかったと考えられる。

この点につき、Cは、当公判において、自分とBとの間には特段のつながりはなく、B関係の債務保証等については、Bが被告人の了承を得たと述べて自分のところに来ていたことなどから、被告人のところで決められ、自分はそれに従って債務保証等の手続をとっただけであると供述している。また、Bは、当公判において、本件債務保証、貸付けについての被告人の関与状況等について曖昧な供述をしているが、それでも、東京佐川急便から債務保証等を受けるについては、どのような案件でも必ず被告人に話をしており、被告人に話をしないでいきなりCのところに行くことはなかったと供述している。右両名の供述によっても、被告人が本件債務保証等を実質的に決定していたことが明らかである。

被告人は、当公判において、平和堂グループ関係についても、Bから本件の債務保証、貸付けの依頼を受けたことは一切なく、了承もしていない旨供述しているが、右供述は、B、Cの供述に照らし、採用し難いところである。

(二) 被告人は、当公判において、Bから債務保証等の依頼があっても、Cと相談しろなどと言って同人に「振り」、Cの判断に任せていたものであり、自分は決定していないと供述している。

しかし、この点も、稲川会関係事件の場合と同様、被告人自身がB及び平和堂グループの運営及び事業を資金的に応援するという方針を決めており、本件各債務保証、貸付けもその方針の下に生じたものであるから、Bの依頼に対し明示の承諾を与えていないとしても、それだけで被告人が判断しなかったとはいえないばかりか、Cの当公判における供述等によると、平和堂グループ関係の債務保証等については、すべて被告人がBから依頼を受けてその可否を判断し、Cは、その判断に従って所定の手続を取っていたことが認められる。したがって、この点の被告人の供述は、信用できない。

4  さらに、弁護人は、BはD会長とつながりのあるHが紹介した者であるところ、CがD会長との関係では被告人に比してはるかに下位であり、D会長の意向によりその地位を追われる可能性が高かったことなどから、CにはBの依頼に対応する独自の理由があること、C自身が株取引や不動産取引について極めて楽観的であったことなどからして、本件債務保証等はCがその判断で決定したことが明らかであり、自分は決定していないというCの供述は、信用できないという。

しかし、BがGの弟分のような形でGとHから被告人に紹介され、次第に東京佐川急便とのつながりを深めていったことは、所論のとおりであるが、Cのほか、Bや被告人の捜査段階及び当公判における各供述を検討しても、被告人やCにおいて、特にBとD会長とのつながりを意識していたとは認められないし、Bにおいても、東京佐川急便から資金援助を受けるについて、自己とHないしD会長との関係を利用したような形跡は見当たらない。

また、Cが、所論がいうように、株取引や不動産取引について楽観的であったとしても、そのことが自らの判断で本件巨額の債務保証、貸付けを決定した理由になるとは到底考えられない。

そのほか、所論は、Bが債務保証等について被告人の了解を得た事実がないのに、Cに対し、被告人の了解を得たなどと虚言を弄した可能性を否定できないというが、本件各証拠を検討しても、そのような可能性があるとは認められない。

この点の所論も失当である。

5  以上のとおりであるから、本件債務保証等につき被告人は決定していないという弁護人の主張は、理由がない。

三 本件融資の動機、目的

1  弁護人は、被告人には、検察官が主張するような図利目的、ことに自己保身の目的や裏金を得る目的などなかったと主張する。

2 本件各証拠を総合して検討すると、被告人は、判示のとおり、かねて政治家との付き合い等のため自己の自由になる裏金を必要としていたところ、最初はGに設立させた乙一に東京佐川急便から資金援助をして株取引をさせ、その儲けを還流させようとし、実際にGから昭和六三年二月と三月に各一億円を受け取るなどしていたが、その後Gと疎遠になったことなどから、Gに代わってBにその裏金作りの役割を果たさせるようになり、Bの依頼に応じて、B及び平和堂グループに債務保証、貸付けを続け、その見返りにBから裏金を受け取っていたが、既に認定したとおり、Bが多額の資金を投下して行った不動産投資、株式投資は利益を上げることができず、Bを含む平和堂グループは、平成元年一二月の時点において、多額の債務を抱えてその経営は破綻に瀕し、それ以上平和堂グループに債務保証や貸付けをしても、早晩保証債務の履行を求められ、あるいは貸付金の回収が危ぶまれる状況にあった。そして、被告人は、右の状況を認識しながら、敢えて本件債務保証、貸付けの要請に応じたものであるところ、それは、もし右要請に応じないで平和堂グループが倒産すると、それまでにBや平和堂グループに対して行った不適正な債務保証、貸付けの実態が明らかになり、D会長ら清和商事側から責任を追及されて東京佐川急便の代表取締役の地位を失うことになりかねないところから、Bの事業、ことにBが仕手株の投資等により利益を上げることに望みを賭けて平和堂グループの倒産などの事態を回避し、東京佐川急便の経営権を維持確保するという自己保身の動機と、これまでどおりBから裏金を受けたいという動機によるものと認められるから、被告人自身の利益を図る目的があったとみることができる。さらに、本件債務保証、貸付けによりB及び平和堂グループに利益が生じるところ、この点の図利目的もあったと認められる。

なお、稲川会関係事件の場合と同様、被告人には、平和堂グループに対する新たな債務保証、貸付けによって東京佐川急便の損害を最小限にし、その利益を図ろうという意思もあったと思われるが、それが損害を拡大させる危険が大きかったことも認識していたと認められることなどに照らし、結局は東京佐川急便の利益を期待していたにとどまり、主たる目的は自己保身のためであったと認められる。

3  これに対し、弁護人は、① 被告人の東京佐川急便代表取締役という地位は、安定していて、D会長の意向に左右されることはなかったというほか、② 被告人がBを応援したのは、Bが若くて活気があることなどから、若いとの被告人の姿と重なってBに好感を持ったからである、③ 被告人には十分な資金調達能力があり、多額の資金援助と引換えにBから裏金をもらう必要などなかったことなどから、被告人に自己保身等の目的はないと主張し、被告人も、当公判において、これと同旨の供述をしている。

(一) ①の点は、既に判断したとおり、佐川急便グループにおけるD会長の権勢が強大であり、被告人といえども、その意向に逆らうことができない状況にあったこと、したがって、もし本件平和堂グループに対する債務保証や貸付けの実態が明らかになれば、その責任をD会長及び清和商事側から厳しく追及されることは必至の状況にあったと認められる。これと異なる被告人の供述は、不自然である。

(二) 次に、②の点についてみると、Bについては、自己資金も事業実績も堅実な事業計画もなく、専ら東京佐川急便からの資金援助に依存して不動産投資と株式投資を行おうとしていたものであるから、このようなBに対し、何の見返りも期待することなく、本件巨額の債務保証、貸付けをしたということは、HからBの援助を頼まれたことや被告人がBに好感を抱いていたことを考慮しても、到底理解することができない。この点の被告人の供述も、不自然、不合理である。

(三) さらに、③の点は、被告人が、自己の自由になる裏金を求めていたことは、Bの捜査段階の供述等の関係証拠によって明らかである。

すなわち、前記認定のとおり、かねて被告人は、気を許したGやBに対し、政治家との付き合いが大変で自由に使える裏金が欲しいとか、政治家との付き合いには金がかかり幾らあっても足りないとかと洩らして、暗に裏金を求めていたことが認められる。

そして、関係証拠によると、Gは、被告人の意向を察し、乙一への資金援助に対する見返りとして、右裏金の趣旨で、昭和六三年二月に一億円を、三月にBを介して一億円を渡したことが認められる。

さらに、Bの検察官に対する供述(各検察官調書謄本・甲二八〇号ないし二九五号)によると、Bは、右と同じ趣旨で、少なくとも、平成元年四月四日ころから平成二年一二月二八日ころまでの間に一四回にわたり、合計一七億五〇〇〇万円を被告人に渡したと述べ、自己の商法違反等被告事件の公判及び当公判においては、供述内容が必ずしも一定していないが、それでも右最後の平成二年一二月二八日の一億円を含めて、五、六回か七、八回、一回当たりの金額は五〇〇〇万円か二億円で、合計六億円前後を被告人に渡したと述べている。一方、被告人も、当公判において、平成元年か二年ころBから四回ないし五回、一回につき一億円か数千万円で、合計四億円位を受け取ったことを自認している。このような供述等によれば、被告人が、少なくとも、Bから四、五回以上の相当の回数にわたり、一回当たりの金額数千万円以上の現金を受け取ったことを認めることができる。

この点につき、被告人は、当公判において、右のBから受け取った合計四億円位の金員の趣旨につき、それは、検察官が主張するような裏金ではなく、政治献金等で入用だったので、Bから借りたものであると供述している。しかし、返済期限の取り決めも借用書その他書類のやりとりもなく、被告人はその後現在まで返済もしていないというのであるから、通常の金銭の貸借であったとは認め難く、被告人が捜査段階で述べているとおり、B及び平和堂グループに多額の資金援助をしたことに対する見返りとして、Bから受け取った裏金であったとみることができる。

また、被告人は、当公判において、資金調達について、当時の東京佐川急便の実情等からすると、Bなどに依頼しなくても、Cに指示するなどして容易に実現することができた旨を供述するが、被告人が公判でいうような会社の経理等を操作するなどの方法で億単位の資金を調達することが容易にできるとは思われないし、被告人が必要としていたのは、自己の権勢を維持、拡大するため、政治家に個人的に渡す多額の資金であったから、Cを通じて捻出する方法があったとしても、それとは別に、Bに対し自己の一存で自由に使える裏金を求めたとしても決して不自然ではない。よって、この点の被告人の供述も、不合理であり、信用することができない。

(四) 被告人は、その検察官調書において、本件債務保証、貸付けを行った動機、目的について、B個人を含む平和堂グループに対する資金援助を打ち切れば、同グループが早晩倒産することが目に見えていたが、そうなると、それまで行ってきた杜撰な貸付けや債務保証が明らかとなって、D会長が必ずや被告人を首にするであろうと予想されたこと、当時東京佐川急便の株式の六〇パーセントの所有者は事実上D会長であったが、これはかなり前にD会長に差し上げたものであり、私の気持としては、このような状態でも東京佐川急便は私の会社であり、その社長であることに誇りを持ち、このような誇り高い地位を追われたくなかったこと、また、領収書がもらえない資金作りの必要があったことなどを述べているが、この供述は、これまで検討してきたところに照らし、十分信用することができる。

4  以上のとおりであるから、被告人には図利目的はなかったという弁護人の主張も、採用できない。

(法令の適用)

被告人の判示第二の犯罪事実記載の表Ⅰの番号1ないし8及び同表Ⅱの番号1ないし5の行為、同第三の犯罪事実記載の表Ⅲの番号1ないし7及び同表Ⅳの番号1、2の行為は、判示第二の平和堂グループ関係の特別背任及び判示第三の稲川会関係の特別背任ごとに包括して平成七年法律第九一号による改正前の刑法六〇条(第二のK、Jとの共謀及び第三のBとの共謀につき、更に右改正前の刑法六五条一項)、商法四八六条一項に該当するところ(罰金刑の下限につき、平成三年法律第三一号による改正前の罰金等臨時措置法二条一項による。)、所定刑中いずれも懲役刑を選択し、以上は右改正前の刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により、犯情の重い判示第二の平和堂グループ関係の特別背任罪の刑に法定の加重をし、その刑期の範囲内で被告人を懲役七年に処し、同法二一条を適用して未決拘留日数中四五〇日を刑に算入し、訴訟費用については、刑訴法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。

(量刑の理由)

一  本件は、大手運輸会社の代表取締役社長であった被告人が、株式会社の取締役としての任務に背き、長期間、多数回にわたり、暴力団関連の企業等に巨額の不良保証、貸付けをして、会社に甚大な損害を与えた特別背任の事犯であり、犯行の動機、規模、損害額、社会に与えた影響等のいずれの点からみても、この種事案として類例を見ない重大な事件である。

二  本件の中でも、特に悪質であり、非難されるべきは、稲川会関係事件である。すなわち、稲川会関係事件は、東京佐川急便が、組織暴力団稲川会会長のKが実質的に支配する企業に合計一五七億円という巨額の債務保証、貸付けをしたというものである。その経緯等は、判示のとおり、Kにおいて、自己資金の用意もないまま、不動産や株取引等の経済活動に進出して勢力を拡大しようと企て、東京佐川急便をその資金源としようとして被告人に接近し、他方、被告人も、佐川急便グループ内外における自己の権勢の維持、拡張を図るなどのため、Kの暴力団会長としての隠然たる勢威を利用したいと考えてKとの関係を深め、Kの求めに応じて、Kが実質的に支配する北祥産業等に東京佐川急便から多額の債務保証、貸付けをするようになったものである。そして、Kにおいては、東京佐川急便の資金援助を受けてゴルフ場開発事業や不動産取引事業、また、大規模な株取引を始めたが、Kの株取引への資金流用などのために事業経営は破綻し、それまでの債務の返済さえ困難な状態となったのに、被告人は、北祥産業等が倒産することにより、それまでの北祥産業等に対する不適正な債務保証、貸付けの実態が露顕し、D会長側から責任を追及されて東京佐川急便代表取締役社長の地位を追われる事態となることをおそれ、自己保身と北祥産業等の延命を図る目的で本件犯行に及んだものである。暴力団幹部が経営する企業に資金援助をするなどということは、健全な社会から排除されるべき暴力団組織を経済的に支えて活発化させ、また、活動の資金を提供するものとして、到底許容されるものではないのに、被告人は、自己保身などの利己的な動機から、取締役としての任務に背き、会社の利益に反してまで、Kと癒着して本件行為に及んだものであるから、その背信性は著しいものがある。また、企業と暴力団の癒着について企業経営者としての社会的責任も問われなければならない。

次に、平和堂グループ関係事件は、東京佐川急便が、実績も堅実な事業計画もないB及び同人が経営する平和堂グループに合計二一一億円及び二四〇〇万ドル(当時の円換算で約三三億九五〇〇万円)という巨額の債務保証、貸付けをしたというものである。その経緯等は、判示のとおり、Bにおいては、かねて資金も信用もなかったが、たまたまGを通じて被告人の面識を得たことを好機と考え、被告人に取り入って東京佐川急便から事業資金を引き出そうと企図し、他方、被告人は、自己の地位の安泰を図るなどのため、かねて暴力団の勢威のほか、政治家の影響力をも自己の後ろ楯としようと考え、政治家に渡すための自己の自由になる裏金を必要としていたところから、Bに資金援助をして株取引等をさせ、その見返りに金員を還流させて裏金を捻出しようと考え、Bの求めに応じて、東京佐川急便からB及び平和堂グループ各社に多額の債務保証、貸付けをするようになったものである。しかし、Bにおいては、杜撰な事業計画などのため、不動産や株への投資がほとんど失敗に終わり、それまでの債務の返済が困難な状態となったのに、被告人は、ここにおいても、平和堂グループが倒産することにより、平和堂グループに対する不適正な債務保証等の実態が露顕し、前同様、D会長側から責任追及を受けて自己の地位を失う事態となることをおそれ、この事態を回避するため、Bが株の仕手戦に乗って利益を上げることに望みを託し、その利益により挽回を図ろうなどとして本件犯行に及んだものである。この事件も、被告人の自己保身という利己的な動機、目的による犯行であるから、酌量の余地がないほか、Bへの資金援助に当たっては政治家に渡すための裏金作りという不当な意図、動機が背景にあり、実際にも、Bから多額の金員を受け取った上、これを政治家などへの不透明な資金提供等に使ったと考えざるをえないことから、社会的な非難も免れない。

三  本件の結果は、極めて深刻かつ重大である。すなわち、本件の各債務保証額及び貸付金は、合計三六八億円及び二四〇〇万ドルと莫大な額であり、そのほとんどが実質的に返済されていない。東京佐川急便の経常利益が、判示のとおり、昭和六三年度が約一四〇億円、平成元年度が約一〇二億円、平成二年度が約六一億円であったことと対比してみても、本件の被害は、東京佐川急便にとって甚大であったと認められる。そして、東京佐川急便の債務保証及び貸付額は、本件によるものを含めて、B個人及び平和堂グループについて、平成三年六月末で総額五九〇億円であり、その後一部について回収されるなどしたが、平成七年三月二〇日現在でなお約五六〇億円が残っており、同様に、稲川会関係の北祥産業、北東開発、ゴールドバレー及び岩間開発については、平成三年六月末で総額一〇三一億円であり、平成七年三月二〇日現在でなお九五七億円が残っている。

なお、本件が発覚した平成三年七月以降、東京佐川急便の債務保証、貸付けの実態についての調査が行われ、その結果、同年一二月末時点で、本件を含む一連の不良な債務保証、貸付けが総額五〇〇〇億円を超える巨大なものであり、一方、その保全資産は合計で一〇〇〇億円にも満たないものであることが判明した。かくして、東京佐川急便が事実上破産状態に陥っていたところから、佐川急便グループにおいて、その再建策が検討され、被告人、Cら経営陣の交代が行われたほか、佐川急便グループ傘下の会社の吸収合併が行われるなどして、東京佐川急便の債権債務が存続会社である佐川急便株式会社に引き継がれるなどし、倒産の危険は避けることができたが、同社は、今後も長期にわたり、多額の返済を余儀なくされている。

加えて、本件は、「東京佐川急便事件」などとして大々的に報道された事件の中核をなすものであり、東京佐川急便ないし佐川急便グループの社会的信用を大きく失墜させたほか、特に稲川会関係事件においては、大手運輸会社の経営者が我が国でも有数の組織暴力団の会長と癒着し、暴力団関連の企業に巨額の資金援助をしたことから、国民の間に企業経営に対する不信感を生み出したこと、さらに、本件の過程において、被告人が有力政治家の右翼団体とのトラブル解決に右暴力団会長の影響力を利用したなどの出来事もあり、そのことが国民一般に政治不信につながる衝撃を与えたことを考えると、本件が及ぼした社会的影響は、誠に大きいものであったということができる。

四  被告人は、東京佐川急便の代表取締役として、会社経営の最高責任者の地位にあったばかりか、実力者社長、ワンマン社長として、東京佐川急便を実質的に支配し、経営していたものである。そして、被告人は、東京佐川急便の代表取締役社長としての自己の地位の安泰などを図るために、本件行為に及んだものであるから、本件は、結局被告人自身の利害に基づく、自己の立場を濫用した犯行である。もとより共犯者であるKやBらにおいても、東京佐川急便から資金を引き出して利益を得ようという同人らの利害があったことは事実であるが、被告人は、諸々の思惑から資産も事業実績もないK、Bに対し、自己の判断によって資金援助を決め、積極的にこれを進めてきたものであり、稲川会関係事件の共犯者であるCについても、被告人と同様に東京佐川急便における取締役としての地位保全という同人自身の利害があったことは事実であるが、被告人の決めた事業援助の方針の下に犯行に加担したものであって、その役割も従属的であったから、結局、被告人が本件において主導的立場にあり、最も重要な役割を果たしたものといわなければならない。

また、被告人は、当公判廷において、本件の罪責を争い、種々不合理な弁解を述べて自己の責任を回避する態度に終始しており、反省悔悟の態度が見られない。

以上のようにみてくると、被告人の責任は重大である。

五  ところで、他方、本件犯行の主な動機、目的が、被告人の保身とKやBらの利益に図ることにあったことは、前記のとおりであるが、それを超えて、被告人自身の私腹を肥やすとか、東京佐川急便に積極的に損害を加えるとかの動機、目的はなかったこと、本件において、KやBが行った投機性の高い株取引や不動産取引に対し、被告人が多額の資金援助を決断し、その結果本件の被害が一層拡大したことについては、当時の我が国の特殊な経済情勢、つまりバブル経済とその崩壊とが重要な背景事情として存在すること、また、業績が優良な企業の豊富な資金力と経済的な信用を当てにして、KやBのような起業者、これらに融資する金融機関、更には政治家までが被告人に近づいて資金援助を要請し、被告人も当時の楽観的な経済の見通しと順調な会社の業績に気を許して気前よくこれを引き受け、結局自ら育て上げた会社を追われる破目に陥ったという面もあること、被告人は、三好運送株式会社、A運輸株式会社の時代から長きにわたり、創業者として東京佐川急便の発展及び業績伸張に心血を注ぎ、多数の従業員の尽力や佐川急便グループの支えがあったことはいうまでもないが、佐川急便グループ内だけでなく、国内でも有数の運輸会社に育て上げたもので、それまでの経営手腕、経営能力は高く評価されていたこと、本件債務保証等の責任を問われて東京佐川急便の代表取締役社長の地位を解任されたほか、これまで営々と築き上げてきた社会的地位、信用、名声、更には収入の源も失うなど、既に相応の社会的制裁を受けていること、相当以前の業務上過失傷害による罰金前科一犯と業務上横領、法人税法違反による執行猶予付き懲役前科二犯があるほかは、前科はないこと、その他被告人の健康状態、家庭の状況など被告人のために酌むべき情状もある。

六  そこで、以上の事情を総合考慮して、被告人を主文の刑に処するのが相当であると判断した。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大谷剛彦 裁判官出田孝一 裁判官神田大助)

別表Ⅰ〜Ⅳ<省略>

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